信じられないような「数字」が韓国にはたくさんある。たとえば、女性就業人口の七〇パーセント強を水商売が占めているということ。女性の労働力の水商売への一点集中という現象が、韓国が女性に何を期待しまた何を期待していないかを物語っている。
結婚して子供を産む、そうでなければ女は、男の性欲を満足させる対象以外としては、なんら期待されることのない存在なのだ。ごくわずかな女性事務員や教員たちは、男たちにとっては「職場の花」でしかなく、女たちにとっては一時的に世間を知るための「花嫁修行」以上の意味はない。
社会は男のものであり、その社会をきりもりする男たちの出入りするところに、男たちの相手をする女がいる。これが韓国社会の男女の位置関係である。そして、その「相手」の内容として要求されるものは、一にも二にもセクシャリティなのだ。そこで女は、多かれ少なかれ、精神を無視されたセックスマシーンへと自らを処していくしかない。
欧米や日本の場合、女のセクシャリティが商品と同じような消費の対象となることはあっても、そうでなければ女に社会的な価値がないということにはならない。自分のセクシャリティを商品化したければすればいいし、したくなければ他の道を選べばいい。そうした選択の幅が韓国では極端に狭いのだ。
韓国で喫茶店に行けば、華やかな衣服に身を包んだ厚化粧のウェイトレスたちが、注文を終えた客の側にまつわりついてくる。ちょっとお茶でも、と立ち寄った日本人たちが、彼女たちの過剰なサービスに辟《へき》易《えき》とし、キャバレーと間違えて入ったのではないかと焦ったという話をよく聞く。純粋にお茶を飲みたければ、学生街の音楽喫茶か外国人向けのラウンジなどに入ることである。
韓国で喫茶店と言えばおもに、ビジネスマンたちが打合せをしたり、お客を軽く接待する場として利用される。そのため、ウェイトレスたちのセクシーなサービスがつくのだ。ここでは女たちは、何杯のお茶をお客に提供したかで稼ぐ。喫茶店の女たちは、クラブの女たちさながらに、自分を目当てにたくさんのお客を連れて来る常連を獲得し、いかにして自分にもたくさんのお茶を注文させようか、いかにしてたくさんのチップをもらおうかと、必死にサービス合戦を展開する。
真《ま》面《じ》目《め》な留学生たちが、日本で焼き肉屋のアルバイトはしても喫茶店で働くことに抵抗をみせる者が多いのも、韓国のこうした喫茶店がイメージにあるからなのだ。
韓国のサービス業はおおむね、お客に精神的な心地よさを与えるというよりは、男たちに性的な快楽を与えることへと、営業の方針が絞りこまれている。もちろん、韓国の男たちがそれを求めているからである。
結婚して子供を産む、そうでなければ女は、男の性欲を満足させる対象以外としては、なんら期待されることのない存在なのだ。ごくわずかな女性事務員や教員たちは、男たちにとっては「職場の花」でしかなく、女たちにとっては一時的に世間を知るための「花嫁修行」以上の意味はない。
社会は男のものであり、その社会をきりもりする男たちの出入りするところに、男たちの相手をする女がいる。これが韓国社会の男女の位置関係である。そして、その「相手」の内容として要求されるものは、一にも二にもセクシャリティなのだ。そこで女は、多かれ少なかれ、精神を無視されたセックスマシーンへと自らを処していくしかない。
欧米や日本の場合、女のセクシャリティが商品と同じような消費の対象となることはあっても、そうでなければ女に社会的な価値がないということにはならない。自分のセクシャリティを商品化したければすればいいし、したくなければ他の道を選べばいい。そうした選択の幅が韓国では極端に狭いのだ。
韓国で喫茶店に行けば、華やかな衣服に身を包んだ厚化粧のウェイトレスたちが、注文を終えた客の側にまつわりついてくる。ちょっとお茶でも、と立ち寄った日本人たちが、彼女たちの過剰なサービスに辟《へき》易《えき》とし、キャバレーと間違えて入ったのではないかと焦ったという話をよく聞く。純粋にお茶を飲みたければ、学生街の音楽喫茶か外国人向けのラウンジなどに入ることである。
韓国で喫茶店と言えばおもに、ビジネスマンたちが打合せをしたり、お客を軽く接待する場として利用される。そのため、ウェイトレスたちのセクシーなサービスがつくのだ。ここでは女たちは、何杯のお茶をお客に提供したかで稼ぐ。喫茶店の女たちは、クラブの女たちさながらに、自分を目当てにたくさんのお客を連れて来る常連を獲得し、いかにして自分にもたくさんのお茶を注文させようか、いかにしてたくさんのチップをもらおうかと、必死にサービス合戦を展開する。
真《ま》面《じ》目《め》な留学生たちが、日本で焼き肉屋のアルバイトはしても喫茶店で働くことに抵抗をみせる者が多いのも、韓国のこうした喫茶店がイメージにあるからなのだ。
韓国のサービス業はおおむね、お客に精神的な心地よさを与えるというよりは、男たちに性的な快楽を与えることへと、営業の方針が絞りこまれている。もちろん、韓国の男たちがそれを求めているからである。