韓国には「犬のように儲《もう》けてヤンバンのように使う」というコトワザがある。そして、他人を最も軽《けい》蔑《べつ》した言い方に「犬のようなサンノム」という言葉がある。この場合、犬を最も卑しい動物とみなすわけだが、ヤンバン(両班)は上層身分を、サンノム(庶民)は下層身分を意味している。李氏朝鮮時代をとおして、韓半島では大きくこの二つの階級区分が行なわれていた。
村では地主がヤンバンである。ヤンバンは所有する土地を農民に耕作させて収穫物を手にするが、決して農作業に直接従事してはならず、ただ管理と指示だけを行なわなくてはならない身分である。そして、収穫物をどれだけたくさん農民たちに分け与えることができるか、またその他の面でもどれだけ大盤振る舞いができるか、さらには、個人的にもどれだけ気前のよい消費生活をしているかで、尊敬されるべき人間かどうかが判断された。
ようするに、振る舞いが豊かでも個人生活が質素であれば、また個人生活が派手でも振る舞いが貧しければ、ヤンバンとしての資格がないのである。
この時代に、技芸をもってヤンバンたちの相手をする、キーセンと呼ばれる女たちがいた。キーセンの登場にはそれなりの歴史があるのだが、ここではとりあえず、彼女たちは古代に芸能をもって王侯貴族たちに奉仕した、ある特別な女たちの伝統に連なっていると考えていただければよい。さらにその深《しん》淵《えん》には、神事に奉仕する巫《み》女《こ》たちとその持ち伝えた芸能があるのだが、すでに李氏朝鮮の時代では、それらの背景は、記憶の彼方《かなた》に霞《かすみ》のように消え入ろうとしていたと言ってよいだろう。
ただ、このような背景があってこそ、李氏朝鮮時代のキーセンは、単なる金持ち相手の娼《しよう》婦《ふ》ではなく、高貴な香りの漂う「貴姫」と人々にイメージされたのである。キーセンはサンノムたちには手の届かない高《たか》嶺《ね》の花であった。キーセンの踊りや歌を鑑賞し、彼女たちにお酒を注《つ》がせて遊ぶことのできるのはヤンバンだけである。大金を惜しみなく使ってこの遊びをこととし、また彼女たちを妾《めかけ》とすることが、ヤンバンの甲《か》斐《い》性《しよう》を示す大きな条件のひとつでもあった。
力のあるヤンバンはたくさんのキーセンを妾にしたし、そのことがまたヤンバンの権威を高めもした。そしてキーセンたちは、芸を磨き美を洗練させ、いかに力をつくしてヤンバンに気に入られ、妾の座を獲得するかで互いにしのぎを削った。
娘をヤンバンの妾にすることができれば、その一家はヤンバンの家に列せられて家柄の格も上がり、富と名誉を得て下層からの脱出をはかることができた。そのため、貧しいサンノムの家に美人の娘があれば、親は娘をキーセンに仕立ててヤンバンの妾にすることを常とした。しかし、ヤンバンの妾になれなかったキーセンは、正式な結婚をすることもできず、花と謳《うた》われる盛りをすぎれば、以後の人生を一人で寂しく暮らしていくしかなかった。
村では地主がヤンバンである。ヤンバンは所有する土地を農民に耕作させて収穫物を手にするが、決して農作業に直接従事してはならず、ただ管理と指示だけを行なわなくてはならない身分である。そして、収穫物をどれだけたくさん農民たちに分け与えることができるか、またその他の面でもどれだけ大盤振る舞いができるか、さらには、個人的にもどれだけ気前のよい消費生活をしているかで、尊敬されるべき人間かどうかが判断された。
ようするに、振る舞いが豊かでも個人生活が質素であれば、また個人生活が派手でも振る舞いが貧しければ、ヤンバンとしての資格がないのである。
この時代に、技芸をもってヤンバンたちの相手をする、キーセンと呼ばれる女たちがいた。キーセンの登場にはそれなりの歴史があるのだが、ここではとりあえず、彼女たちは古代に芸能をもって王侯貴族たちに奉仕した、ある特別な女たちの伝統に連なっていると考えていただければよい。さらにその深《しん》淵《えん》には、神事に奉仕する巫《み》女《こ》たちとその持ち伝えた芸能があるのだが、すでに李氏朝鮮の時代では、それらの背景は、記憶の彼方《かなた》に霞《かすみ》のように消え入ろうとしていたと言ってよいだろう。
ただ、このような背景があってこそ、李氏朝鮮時代のキーセンは、単なる金持ち相手の娼《しよう》婦《ふ》ではなく、高貴な香りの漂う「貴姫」と人々にイメージされたのである。キーセンはサンノムたちには手の届かない高《たか》嶺《ね》の花であった。キーセンの踊りや歌を鑑賞し、彼女たちにお酒を注《つ》がせて遊ぶことのできるのはヤンバンだけである。大金を惜しみなく使ってこの遊びをこととし、また彼女たちを妾《めかけ》とすることが、ヤンバンの甲《か》斐《い》性《しよう》を示す大きな条件のひとつでもあった。
力のあるヤンバンはたくさんのキーセンを妾にしたし、そのことがまたヤンバンの権威を高めもした。そしてキーセンたちは、芸を磨き美を洗練させ、いかに力をつくしてヤンバンに気に入られ、妾の座を獲得するかで互いにしのぎを削った。
娘をヤンバンの妾にすることができれば、その一家はヤンバンの家に列せられて家柄の格も上がり、富と名誉を得て下層からの脱出をはかることができた。そのため、貧しいサンノムの家に美人の娘があれば、親は娘をキーセンに仕立ててヤンバンの妾にすることを常とした。しかし、ヤンバンの妾になれなかったキーセンは、正式な結婚をすることもできず、花と謳《うた》われる盛りをすぎれば、以後の人生を一人で寂しく暮らしていくしかなかった。