いまでも韓国では、「声のよい人は人生の波が激しい」という言い方がされる。浮き沈みが激しいということなのだ。そう言われるのは、よい声で歌うことができるのはキーセンの資格の一つだったからである。彼女たちは舞姫であり歌姫であった。そのため、声のよい男は「キーセンの弟」と言われ、チョムチャンチモッタダ(上品でない)と蔑《べつ》称《しよう》される。
こうした価値観は、このところ少し変わってきたとは言え、歌手を卑しい職業とみる目には相変わらずのものがあるし、男の歌手は男らしくない職業の代表的な存在になってもいる。娘がいい声で歌えば、「あなたはキーセンになりたいの」と戒める親はいまだに多い。
こうした風土で育った私は、日本に来てだいぶ価値観に変化が訪れたものの、石原裕次郎が亡くなったときの、全国のマスコミの取り上げように、また多くのファンの人たちが人間裕次郎をほめたたえる姿に驚くと同時に、一流の政治家、芸術家、企業家たちまでが、しきりに哀《あい》悼《とう》の意を表していることには心から驚かされた。こんなことは、韓国では天地が引っくり返ってもまずあり得ないことである。
さらに、お兄さんの慎太郎氏が政治家だということを知って、驚きは呆《あき》れに変わり、「容易なことでは日本を理解することができない」の思いを強くしたものである。
石原裕次郎は、韓国でも日本人歌手としてはトップクラスの人気があった。しかし、なぜ日本人が有名な歌手にあれだけの敬愛の念をもっているのか。また、アメリカではあるまいし、歌手を弟にもちながら、なぜ政治家になることができるのか、いずれも私の理解を絶していた。
韓国では、身内に歌手や俳優がいようものなら、それはとても恥ずかしいことなのである。とくに家柄を重んじる現代のヤンバンである上層階級の人間にとっては、それはとうてい許すことのできないものなのだ。
私の知る日本人ビジネスマンが、親しくしている韓国人事業家の話だとして、次のようなゴシップを話してくれた。
アメリカに留学させた長男が、アメリカで知り合った韓国の人気歌手を好きになり、結婚したいと手紙をよこしたと、憔《しよう》悴《すい》しきった姿で語ったことがある。彼はそのとき、「家柄を背負って行かなくてはならない長男が家を滅ぼそうとしている」と言い、長男には、決して韓国に帰ってくるなと電話をしたのだと言う。
何年か経《た》ってまたその事業家と会う機会があったので、その後のようすを聞いてみると、彼はいかに自分が不幸かと言わんばかりに話しはじめた。
「長男は家から追い出されてもかまわないから結婚したいと言う。仕方がなかったな、やはり長男に後を継《つ》がせるしかないからね、認めてやったよ。それで、ともかく長男の結婚だから、思い切り派手な結婚式を挙げさせてやろうと思った。ところが、あいつはまるで貧弱な結婚式を勝手に挙げてしまったんだよ」
これほど不孝な息子を持った親はいない、息子に裏切られて——と、希望を失った者の悲哀をあらわに見せていた。
やがて、息子夫婦はアメリカで生まれた子供を連れて韓国の実家に帰って来て両親と同居したのだったが、父親はまったくお嫁さんを無視して、あたかも存在しないかのように振る舞った。韓国では、嫁は新婚のある期間、朝起きると必ず夫の父親の部屋に挨《あい》拶《さつ》をしに行かなくてはならない習慣がある。彼女も韓国人だから、当然父親の部屋に行くのだが、父親は聞こえないふりをして起きようともしない。
こうして嫁を徹底的に無視するのだが、孫だけはこのうえなく可愛《かわい》がる。
「孫は可愛いさ。それにしても、テレビで見たことのある歌手がまさか自分の嫁になるとは思わなかったよ」
それからしばらくして会ってみると、その老事業家は、いまやお嫁さんをも可愛いと思うようになったと言う。
「とにかく誠実なんだよあの嫁は。心をつくして親切にしてくれるのがよくわかるから、だんだん無視できなくなったんだな」
日本人の歌手ならばとうに逃げ出していただろうが、さすがに韓国の女だ、徹底して舅《しゆうと》にかしずき、なんとか正妻の座を認めてもらうことができたのである。
このように、新しい世代の男たちも育ってはいる。それにしても、この事業家が歌手を卑しい職業と感じなくなったわけではない。間違っても孫を歌手にさせることがあってはならないと、息子夫婦にきつく言明しているそうだ。
こうした価値観は、このところ少し変わってきたとは言え、歌手を卑しい職業とみる目には相変わらずのものがあるし、男の歌手は男らしくない職業の代表的な存在になってもいる。娘がいい声で歌えば、「あなたはキーセンになりたいの」と戒める親はいまだに多い。
こうした風土で育った私は、日本に来てだいぶ価値観に変化が訪れたものの、石原裕次郎が亡くなったときの、全国のマスコミの取り上げように、また多くのファンの人たちが人間裕次郎をほめたたえる姿に驚くと同時に、一流の政治家、芸術家、企業家たちまでが、しきりに哀《あい》悼《とう》の意を表していることには心から驚かされた。こんなことは、韓国では天地が引っくり返ってもまずあり得ないことである。
さらに、お兄さんの慎太郎氏が政治家だということを知って、驚きは呆《あき》れに変わり、「容易なことでは日本を理解することができない」の思いを強くしたものである。
石原裕次郎は、韓国でも日本人歌手としてはトップクラスの人気があった。しかし、なぜ日本人が有名な歌手にあれだけの敬愛の念をもっているのか。また、アメリカではあるまいし、歌手を弟にもちながら、なぜ政治家になることができるのか、いずれも私の理解を絶していた。
韓国では、身内に歌手や俳優がいようものなら、それはとても恥ずかしいことなのである。とくに家柄を重んじる現代のヤンバンである上層階級の人間にとっては、それはとうてい許すことのできないものなのだ。
私の知る日本人ビジネスマンが、親しくしている韓国人事業家の話だとして、次のようなゴシップを話してくれた。
アメリカに留学させた長男が、アメリカで知り合った韓国の人気歌手を好きになり、結婚したいと手紙をよこしたと、憔《しよう》悴《すい》しきった姿で語ったことがある。彼はそのとき、「家柄を背負って行かなくてはならない長男が家を滅ぼそうとしている」と言い、長男には、決して韓国に帰ってくるなと電話をしたのだと言う。
何年か経《た》ってまたその事業家と会う機会があったので、その後のようすを聞いてみると、彼はいかに自分が不幸かと言わんばかりに話しはじめた。
「長男は家から追い出されてもかまわないから結婚したいと言う。仕方がなかったな、やはり長男に後を継《つ》がせるしかないからね、認めてやったよ。それで、ともかく長男の結婚だから、思い切り派手な結婚式を挙げさせてやろうと思った。ところが、あいつはまるで貧弱な結婚式を勝手に挙げてしまったんだよ」
これほど不孝な息子を持った親はいない、息子に裏切られて——と、希望を失った者の悲哀をあらわに見せていた。
やがて、息子夫婦はアメリカで生まれた子供を連れて韓国の実家に帰って来て両親と同居したのだったが、父親はまったくお嫁さんを無視して、あたかも存在しないかのように振る舞った。韓国では、嫁は新婚のある期間、朝起きると必ず夫の父親の部屋に挨《あい》拶《さつ》をしに行かなくてはならない習慣がある。彼女も韓国人だから、当然父親の部屋に行くのだが、父親は聞こえないふりをして起きようともしない。
こうして嫁を徹底的に無視するのだが、孫だけはこのうえなく可愛《かわい》がる。
「孫は可愛いさ。それにしても、テレビで見たことのある歌手がまさか自分の嫁になるとは思わなかったよ」
それからしばらくして会ってみると、その老事業家は、いまやお嫁さんをも可愛いと思うようになったと言う。
「とにかく誠実なんだよあの嫁は。心をつくして親切にしてくれるのがよくわかるから、だんだん無視できなくなったんだな」
日本人の歌手ならばとうに逃げ出していただろうが、さすがに韓国の女だ、徹底して舅《しゆうと》にかしずき、なんとか正妻の座を認めてもらうことができたのである。
このように、新しい世代の男たちも育ってはいる。それにしても、この事業家が歌手を卑しい職業と感じなくなったわけではない。間違っても孫を歌手にさせることがあってはならないと、息子夫婦にきつく言明しているそうだ。