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スカートの風58

时间: 2020-07-26    进入日语论坛
核心提示:卑しまれ続ける芸能人たち 卑しい職業とみなされるのは歌手だけではない。俳優にしてもそれは同じことであり、芸能人一般が卑し
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卑しまれ続ける芸能人たち

 卑しい職業とみなされるのは歌手だけではない。俳優にしてもそれは同じことであり、芸能人一般が卑しむべき者とされる。ここには、李氏朝鮮以来の芸能者キーセンの歴史が、そして庶民相手に諸国を漂泊しながら生活した芸能者たちの歴史が、大きな影を落としている。
日本にもそうした歴史があるようだが、韓国でも芸能者は普通の生活圏外に生きる、あたかも異人のような存在だった。その磨き抜かれた芸から繰り出される仕《し》種《ぐさ》は、一瞬でも日常性のわずらわしさを忘れさせ、喜怒哀楽をめぐる感動の楽しみを与えてくれる。人々はそのような芸能者に喝《かつ》采《さい》を浴びせたが、一方では、彼らは自分たちとは種別の異なる世界の住人だということで、激しく差別もしたのである。
彼らの興行には入場券が売られることもなく、観客が楽しくあればそれだけ客席からお金が投げられる仕組みだった。少し前までは、こうした芸能者たちの集団があったようだが、昔の人に聞くと、そのときにお金を投げる意識は、ほとんど、逆立ちをして見せる猿を愛《め》でて餌《えさ》を投げ与えるようなものだったという。
芸能者はいまなお普通の生活者ではない——。
彼らが一般人のような生活をしていないことは確かだが、そのことで芸能人たちを卑しんでいるわけではない。あくまで、旧階級社会の伝統的な価値観が現代へと持ち越されているのだ。そうした意味で、芸能人は卑しむべき者たちだという考えが、韓国の社会をいまなお強く支配している。
そのためか、芸能を文化として発展させようという気が韓国にはない。したがって、映画製作にもまるで力が入れられることがなく、世界に名作とうって出られるものが出来たためしがない。そこで、欧米の映画を見る人は上品な人たちだが、韓国の映画を喜んで見るようなものにろくなヤツはいないといったことが、国内ですら言われるようになってしまっている。
こうした環境下では、芸能活動やそのための技術にかかわって現場で働く人たちの苦労は並大抵のものではない。なにしろ、そうした芸術や技能を鑑賞し、楽しむことができるものこそがヤンバン、つまり一人前の人間だという通念に取り巻かれているのだから。
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