キーセンにした娘がヤンバンの妾《めかけ》になることができれば、これは現代では貧乏人がお金持ちの男の愛人になることを意味するのだが、その家は人々にビョウラックブーザ(カミナリの金持ち)になったと言われる。日本語で近い言葉を探せば「成り金」に相当するだろうが、そこでは「成り上がり者」と言うよりは「突然の金持ち」の意味あいの方が強く、侮《ぶ》蔑《べつ》的《てき》なニュアンスはない。その過程がどうあれ、庶民ならばだれもが望むべきことを達成したという結果を肯定する言い方である。
現代の韓国人ホステスがお金持ちの男の愛人になり、家族に不動産のひとつでも買ってやりたいと思い、また家族がそれを娘に期待するのも、こうした価値観の延長にあることだと言ってよいと思う。
先に述べた「犬のように儲《もう》けてヤンバンのように使う」というコトワザはここから出ている。これは、どれほど汚れた手段を使っても儲けてしまえば、ヤンバンのようにお金を使うことができる——これを肯定した言い方なのだ。同じような意味から、韓国ではバクチの人気がきわめて高い。
韓国では三人寄れば花札がはじまると言われるように、休みの日に友だちどうしが集まれば、たいていは花札をやろうということになる。ゲームは娯楽として楽しまれるよりは、ほとんどの場合が賭《かけ》として行なわれる。ある心理学者が、「賭《と》博《ばく》をやる者には、最小の努力で最大の利益を得ようという心理があり、無限な浪費と無限な消耗のなかで、ある種の自《じ》虐《ぎやく》的《てき》な快感を楽しんでいる」と述べていたが、この見方は韓国人の人生観をよく映し出してもいる。
明日どうなるかはだれにもわからない、もし運がよければ一夜で巨万の富を得ることができ、また世に名声をはくすことができるかもしれない。それを夢見て常に賭に挑戦するのが人生の楽しみというものだ、一〇年先の自分の成功を夢見て計算ばかりの毎日を送る日本人は、いったい何が面白くて生きているのか——。こうした人生観が多くの韓国人のものである。もちろん、そのために家族を失い、職を失う者は多い。
ともかく、ヤンバンになるためにはどんな方法を使ってもよく、ヤンバンになってからいいことをすればよい——。
この倫理観が、「サンノムはそういう存在だから犬のようだ」ということになり、「犬のようなサンノム」という言葉が、人を最も軽《けい》蔑《べつ》する場合の表現ともなるのだ。
話が横道にそれるけれども、犬をさげすむのは韓国人が犬を食用にするからなのかもしれない。犬の肉の入ったボーシンタン(保身湯)というスープは身体によいとされ、古くから愛用されている。それで、ことさらに犬を可愛《かわい》がる欧米人から非難されることにもなるのだが、ソウル・オリンピックのときには、政府は一時的に犬の肉を売ることを禁じた。それでも実際には、名称を変えて鶏肉屋などで堂々と売られていた。
現代の韓国人ホステスがお金持ちの男の愛人になり、家族に不動産のひとつでも買ってやりたいと思い、また家族がそれを娘に期待するのも、こうした価値観の延長にあることだと言ってよいと思う。
先に述べた「犬のように儲《もう》けてヤンバンのように使う」というコトワザはここから出ている。これは、どれほど汚れた手段を使っても儲けてしまえば、ヤンバンのようにお金を使うことができる——これを肯定した言い方なのだ。同じような意味から、韓国ではバクチの人気がきわめて高い。
韓国では三人寄れば花札がはじまると言われるように、休みの日に友だちどうしが集まれば、たいていは花札をやろうということになる。ゲームは娯楽として楽しまれるよりは、ほとんどの場合が賭《かけ》として行なわれる。ある心理学者が、「賭《と》博《ばく》をやる者には、最小の努力で最大の利益を得ようという心理があり、無限な浪費と無限な消耗のなかで、ある種の自《じ》虐《ぎやく》的《てき》な快感を楽しんでいる」と述べていたが、この見方は韓国人の人生観をよく映し出してもいる。
明日どうなるかはだれにもわからない、もし運がよければ一夜で巨万の富を得ることができ、また世に名声をはくすことができるかもしれない。それを夢見て常に賭に挑戦するのが人生の楽しみというものだ、一〇年先の自分の成功を夢見て計算ばかりの毎日を送る日本人は、いったい何が面白くて生きているのか——。こうした人生観が多くの韓国人のものである。もちろん、そのために家族を失い、職を失う者は多い。
ともかく、ヤンバンになるためにはどんな方法を使ってもよく、ヤンバンになってからいいことをすればよい——。
この倫理観が、「サンノムはそういう存在だから犬のようだ」ということになり、「犬のようなサンノム」という言葉が、人を最も軽《けい》蔑《べつ》する場合の表現ともなるのだ。
話が横道にそれるけれども、犬をさげすむのは韓国人が犬を食用にするからなのかもしれない。犬の肉の入ったボーシンタン(保身湯)というスープは身体によいとされ、古くから愛用されている。それで、ことさらに犬を可愛《かわい》がる欧米人から非難されることにもなるのだが、ソウル・オリンピックのときには、政府は一時的に犬の肉を売ることを禁じた。それでも実際には、名称を変えて鶏肉屋などで堂々と売られていた。