あるとき、日本の大企業と韓国の財閥企業が合弁で会社をつくろうということで、仲介役の日本の会社を含めた三者で会議が持たれ、私は仲介役の会社の通訳として出席した。私はそこで、実に印象的な韓日ビジネスの食い違いを見ることになって、ある種の言いようのない苛《いら》立《だ》たしさを覚えた。
韓国の会社からは、会長、社長、専務、常務が出席し、日本の会社で会議が持たれた。それに対して、日本側では担当の部長だけが出席した。そして会議がはじまると、日本側の部長は、「この問題に関しては、当社では私が対処することになっています」と自己紹介をして、話を切り出した。
部長は韓国側の重役たちに向かって盛んに意見を求める。しかし彼らは、聞かれるたびにただ会長の顔を見るだけなのだ。それは社長にしても同じことだった。日本の部長が意見を求め、私が通訳するたびに、いま会長に聞いてみますと言って、ボソボソと隣に座った会長と話をしている。
そのうち、韓国側の会長が「わざわざ日本まで訪ねて来たのに、部長しか出席しないとは何事か」と怒り出した。私は冷汗をかきながら通訳していたが、会長はともかくも社長を出せと言う。私がそれを部長に通訳すると、彼は、「なぜわざわざ日本まで重役が総出で訪ねてきたんでしょうね、暇《ひま》な人たちですね」と、小声で私に言う。もちろん、日本語がよくわからない韓国人には聞き取れない。
そこで部長は会社のシステムをかいつまんで話し、こういうわけでこの問題については自分に権限があるし、会社には後で報告することになっていると、丁《てい》寧《ねい》に説明した。しかし韓国側はどうしても納得しない。会長は、このプロジェクトが成功するかしないかに、自分の会社がどれだけ強い決意を持っているかを示すために、重役全員で訪ねて来たのに、部長しか出ないとは問題を軽く考え過ぎていると主張する。日本の部長は、それはおかしな話であり、権限のある者が一人いれば充分ではないかと主張する。ほんとうは、意見も言えない重役を連れて来て会議に出席させるなどは、失礼な話だと言いたいようであった。
韓国側では、部長にそんな権限を持たせることが自分たちの会社では考えも及ばないことであるため、あくまで相手の部長を軽く考え、なんて誠意のない会社だと思ってしまう。日本側では、社長以下の重役がそれぞれあちこちで会社を代表してビジネスを展開しているため、重役が全員揃《そろ》って商談を行なうことなど、これまた考えも及ばないことであった。
こうして、韓日両企業は、お互いの食い違いを解消することができないまま、会議を終えるしかなかったのだった。これはもちろん、何十年も前の話ではなく、国際ビジネス華やかな一九九〇年のことである。
一人のヤンバン以下すべてが従僕という李氏朝鮮時代の共同社会の構図は、いまだ亡霊のように企業内の関係を支配している。近年しきりに言われるように、日本の成功のひとつの理由が、封建時代から持ち越された人間関係をうまく現代ビジネスに生かしたところにあるのがほんとうならば、韓国はそれを悪く生かしていることで成功から見放されていると言うしかない。近年の経済成長が、あくまでバクチに似た短距離勝負の結果であったことを、いまでは疑うものはいないだろう。
韓国の会社からは、会長、社長、専務、常務が出席し、日本の会社で会議が持たれた。それに対して、日本側では担当の部長だけが出席した。そして会議がはじまると、日本側の部長は、「この問題に関しては、当社では私が対処することになっています」と自己紹介をして、話を切り出した。
部長は韓国側の重役たちに向かって盛んに意見を求める。しかし彼らは、聞かれるたびにただ会長の顔を見るだけなのだ。それは社長にしても同じことだった。日本の部長が意見を求め、私が通訳するたびに、いま会長に聞いてみますと言って、ボソボソと隣に座った会長と話をしている。
そのうち、韓国側の会長が「わざわざ日本まで訪ねて来たのに、部長しか出席しないとは何事か」と怒り出した。私は冷汗をかきながら通訳していたが、会長はともかくも社長を出せと言う。私がそれを部長に通訳すると、彼は、「なぜわざわざ日本まで重役が総出で訪ねてきたんでしょうね、暇《ひま》な人たちですね」と、小声で私に言う。もちろん、日本語がよくわからない韓国人には聞き取れない。
そこで部長は会社のシステムをかいつまんで話し、こういうわけでこの問題については自分に権限があるし、会社には後で報告することになっていると、丁《てい》寧《ねい》に説明した。しかし韓国側はどうしても納得しない。会長は、このプロジェクトが成功するかしないかに、自分の会社がどれだけ強い決意を持っているかを示すために、重役全員で訪ねて来たのに、部長しか出ないとは問題を軽く考え過ぎていると主張する。日本の部長は、それはおかしな話であり、権限のある者が一人いれば充分ではないかと主張する。ほんとうは、意見も言えない重役を連れて来て会議に出席させるなどは、失礼な話だと言いたいようであった。
韓国側では、部長にそんな権限を持たせることが自分たちの会社では考えも及ばないことであるため、あくまで相手の部長を軽く考え、なんて誠意のない会社だと思ってしまう。日本側では、社長以下の重役がそれぞれあちこちで会社を代表してビジネスを展開しているため、重役が全員揃《そろ》って商談を行なうことなど、これまた考えも及ばないことであった。
こうして、韓日両企業は、お互いの食い違いを解消することができないまま、会議を終えるしかなかったのだった。これはもちろん、何十年も前の話ではなく、国際ビジネス華やかな一九九〇年のことである。
一人のヤンバン以下すべてが従僕という李氏朝鮮時代の共同社会の構図は、いまだ亡霊のように企業内の関係を支配している。近年しきりに言われるように、日本の成功のひとつの理由が、封建時代から持ち越された人間関係をうまく現代ビジネスに生かしたところにあるのがほんとうならば、韓国はそれを悪く生かしていることで成功から見放されていると言うしかない。近年の経済成長が、あくまでバクチに似た短距離勝負の結果であったことを、いまでは疑うものはいないだろう。