返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

スカートの風65

时间: 2020-07-26    进入日语论坛
核心提示:奇《き》蹟《せき》好きとキリスト教 経済制度が非近代的なものであるだけに、そのときそのときの運で収入が左右されることにな
(单词翻译:双击或拖选)
奇《き》蹟《せき》好きとキリスト教

 経済制度が非近代的なものであるだけに、そのときそのときの運で収入が左右されることになる。そのため、計画性とは無縁な「時の運」が重視され、一足す一は二という計算による確実な答えではなく、奇蹟が求められる。国民の四〇パーセントがクリスチャンであるというのも、そのへんにひとつの無視できない原因があると思う。
キリスト教がというよりも、奇蹟をよぶキリスト教が人々の心をとらえる。病院で死の宣告を受けたガン患者がお祈りによって治った、懸命にお祈りしたところある日不動産の価格が上がって大《おお》儲《もう》けをすることができた、真剣にお祈りをしたことによってある人が商売の資本金を出してくれた……。こうした話が成功者によって語られ、興味深げに耳が傾けられる。韓国でたった一〇〇年の歴史しかないキリスト教がこれほどまでに急成長した理由は、こうした「おかげ」への期待によるものと思われる。
韓国人の心理をよく知って、それを布教に活用した宣教師たちの戦略は見事だったと言うべきだろう。
新宿歌《か》舞《ぶ》伎《き》町《ちよう》の純福音協会(プロテスタント)に所属する信者約七〇〇〇人の三分の二が韓国人ホステスだ。彼女たちは最低、収入の一割を献金し、別に毎週いくらかを献金するだけでなく、改築など何かのことがあれば一〇〇万円くらいは気前よく献金するのが普通である。
彼女たちのお祈りの言葉は、日本人のように「今日一日のお恵みに感謝します云《うん》々《ぬん》」といったものではなく、「どうかいい旦《だん》那《な》さんがつきますように」「お金がたくさん儲かりますように」と、いたって現実的な利益を求める言葉である。とは言っても、もちろん、彼女たちが深いところで求めているのは心の安らぎである。それは私にしても同じことだが、現実の関係のなかではどうしても癒《いや》されることのない心の痛みを感じれば感じるほど、彼女たちは足しげく教会に向かうのである。
傷つき、迷い、乱れ、苦しむ心……それがどれだけ深くとも、韓国人ホステスたちは、あの底抜けの明るさを失うことがない。それは彼女たちに、教会で静かに神に祈る体験があるからこそなのだと私には信じられる。
日本人が神社や仏閣でお祈りするときも、韓国人と同じように現実的な利益を求めることが多いと言う。しかし日本ではキリスト教はいっこうに広まることがない。韓国人が民間の信仰や東洋の信仰をあっけなく捨ててキリスト教に入信し、日本人がそうしないところには、どのような問題が潜んでいるのだろうか。これも私が日本に来てぶつかった大きな課題のひとつである。
いまだ多くを語ることはできないが、これは伝統の連続性の違いにかかわっているように思う。日本では古代以来の伝統が綿々と連続しており、韓国では三国時代、新羅《しらぎ》時代、高《こう》麗《らい》時代、李《り》氏《し》朝鮮時代のそれぞれの間で、伝統が断ち切れてしまっている。韓半島では新たな時代を迎えるとともに、なぜかそれ以前が捨てられて来た。しかし、それは古い風習を捨て去って社会を革新することとは、まったく別な伝統の廃棄なのである。
日本人は内容に応じてそれをどのような器に盛るかを重視するが、韓国人にとって器は必要に応じて使用されるものに過ぎないことが多い。何事も入れ物を重視する伝統と入れ物にはこだわらない伝統、そこにも韓日の伝統の違いがある。
たとえば、立派な桐箱に陶磁器を、あるいはカステラまでを入れ、その箱に入っていることを価値とする日本人が韓国人には理解できない。韓国人にとって、この場合の箱は単なる搬送の手段に過ぎないから、どんな高価な陶磁器でも、新聞紙でも敷いて適当な箱に入れておくのが普通である。
新しい時代の勝利者たる西洋のキリスト教を、自らの宗教性を盛る器として選んだ韓国人は多かったが、日本人のほとんどがそれを器としてはふさわしくないものとして選ばなかった——そういうことではないのだろうか。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%