話を女の問題にもどそう。
先に述べたように、処女性と親孝行のモラルは、小さいころからさまざまな形で植えつけられてゆく。そして、その最も深いところには、処女が神の生《い》け贄《にえ》となって家を守るという、伝承説話に涙する心情が色濃く流れているように思う。
このパターンの説話にはいろいろあるが、そこから題材をとって作られた、現代韓国の代表的な童話がある。簡単にご紹介しておこう。
ある貧しい盲人の男が妻を得、やがて妻は女の子を産んだが、産後の肥立ちが悪く一週間後に亡くなってしまった。盲人の父はシムチォン(沈青)と名付けたわが子を抱き、あちこちの家を訪ねては乳をめぐんでもらい、ちょっとした仕事をもらっては食を得るという生活を続けた。こうして育てられたシムチォンは、ものごころがついたころには、もう他家の手伝いに出て父を助けるようになっていた。
父はシムチォンを宝もののように可愛《かわい》がり、シムチォンはなんとか自分の手で父に楽な生活をさせてやりたいと必死に働いた。そして、どうか父の目が見えるようになりますようにと、日々神仏へ祈るのだった。
シムチォンが一七歳になった年のある日、三〇〇束の米を逆さまにして仏に捧《ささ》げれば、見えない目も見えるようになると、ある偉いお坊さんが言っているということを耳にした。しかし、それだけの米は彼女が一生かかっても手に入れられる量ではない。彼女が絶望の思いにうちひしがれていたとき、船乗りたちが処女の娘を探しているという話を聞いた。航海の安全を神に祈るために、処女を生け贄として海に投げ込む風習があり、そのために海商たちが処女を買おうと探しているのだった。
シムチォンは心のなかで「これしかない」と決心を固め、海商のところへ出向いて、米三〇〇束と父が一生食べていけるだけのお金と引換えに、自分の命を売ったのである。この話は村中に伝わっていったが、それを聞いたあるお金持ちの奥さんがシムチォンを哀れに思い、シムチォンに三〇〇束の米を提供しようと申し出た。しかし、シムチォンは、他《ひ》人《と》さまに迷惑をかけることはできない、これは私の家の問題なのだからと断り、ついに生け贄となる日を迎える。
その当日、やっと事実を知った父は、「お前を亡くして目が見えたところで何になろう」と言って泣き、彼女にやめるようにと強く迫ったのだが、シムチォンはそれをも振り切り、海の男たちに連れられて船に乗り、神への生け贄として海中に身を投じてしまった。船が去ると、シムチォンが身を投じた海面にプックリと大きな蓮《はす》の花が浮かび上がった。それを通りかかった漁夫が見つけて拾い、あまりに美しいので都に持ち帰って王さまに献上した。
この蓮の花からシムチォンが出て来て王の妃《きさき》となる、というように話は続く。そして王の妃となったシムチォンは、全国の盲人を集めて大宴会を催す。その盲人たちのなかに父を見つけたシムチォンが、「お父さん!」と呼んだその瞬間に、父の目が開き、親娘《おやこ》が抱き合って喜ぶ——。ここで話が終わるのである。
先に述べたように、処女性と親孝行のモラルは、小さいころからさまざまな形で植えつけられてゆく。そして、その最も深いところには、処女が神の生《い》け贄《にえ》となって家を守るという、伝承説話に涙する心情が色濃く流れているように思う。
このパターンの説話にはいろいろあるが、そこから題材をとって作られた、現代韓国の代表的な童話がある。簡単にご紹介しておこう。
ある貧しい盲人の男が妻を得、やがて妻は女の子を産んだが、産後の肥立ちが悪く一週間後に亡くなってしまった。盲人の父はシムチォン(沈青)と名付けたわが子を抱き、あちこちの家を訪ねては乳をめぐんでもらい、ちょっとした仕事をもらっては食を得るという生活を続けた。こうして育てられたシムチォンは、ものごころがついたころには、もう他家の手伝いに出て父を助けるようになっていた。
父はシムチォンを宝もののように可愛《かわい》がり、シムチォンはなんとか自分の手で父に楽な生活をさせてやりたいと必死に働いた。そして、どうか父の目が見えるようになりますようにと、日々神仏へ祈るのだった。
シムチォンが一七歳になった年のある日、三〇〇束の米を逆さまにして仏に捧《ささ》げれば、見えない目も見えるようになると、ある偉いお坊さんが言っているということを耳にした。しかし、それだけの米は彼女が一生かかっても手に入れられる量ではない。彼女が絶望の思いにうちひしがれていたとき、船乗りたちが処女の娘を探しているという話を聞いた。航海の安全を神に祈るために、処女を生け贄として海に投げ込む風習があり、そのために海商たちが処女を買おうと探しているのだった。
シムチォンは心のなかで「これしかない」と決心を固め、海商のところへ出向いて、米三〇〇束と父が一生食べていけるだけのお金と引換えに、自分の命を売ったのである。この話は村中に伝わっていったが、それを聞いたあるお金持ちの奥さんがシムチォンを哀れに思い、シムチォンに三〇〇束の米を提供しようと申し出た。しかし、シムチォンは、他《ひ》人《と》さまに迷惑をかけることはできない、これは私の家の問題なのだからと断り、ついに生け贄となる日を迎える。
その当日、やっと事実を知った父は、「お前を亡くして目が見えたところで何になろう」と言って泣き、彼女にやめるようにと強く迫ったのだが、シムチォンはそれをも振り切り、海の男たちに連れられて船に乗り、神への生け贄として海中に身を投じてしまった。船が去ると、シムチォンが身を投じた海面にプックリと大きな蓮《はす》の花が浮かび上がった。それを通りかかった漁夫が見つけて拾い、あまりに美しいので都に持ち帰って王さまに献上した。
この蓮の花からシムチォンが出て来て王の妃《きさき》となる、というように話は続く。そして王の妃となったシムチォンは、全国の盲人を集めて大宴会を催す。その盲人たちのなかに父を見つけたシムチォンが、「お父さん!」と呼んだその瞬間に、父の目が開き、親娘《おやこ》が抱き合って喜ぶ——。ここで話が終わるのである。