ある日、高校時代の友だちから国際電話がかかってきた。日本へ逃げたいのだが相談にのって欲しいというのである。びっくりしてわけを尋ねてみると、結婚したのだが家を出てしまった、しかも結婚式を挙げたのはなんと昨日のことだと言うのだ。
それはこういう事情だった。
彼女は高校を出て電話の交換手として働いていたが、嫌な男との結婚なんて絶対しないと、親がもってくる見合いの話を断り続けていた。そしてこの年に三十歳になったのだったが、ある日、彼女の両親が見合いの話をもってきて、ここで結婚してくれなければもはや生きてはいけないと、連日連夜泣きながら彼女に訴え続けた。さすがの彼女ももはや抗し切れず、せめてもの親孝行にと、見合いをして結婚を承諾してしまった。そして、親が手配するままに結婚式を挙げ、盛大な披露の宴を催した翌日、家を出てしまったのである。
三十歳を過ぎた女が結婚もしないで家に親と住むためには、親娘ともかなりの恥ずかしさに耐えなくてはならない。前にも述べたように、何か欠点があるに違いないという目で世間から見られるからである。そのため、三十歳を過ぎた未婚の女のほとんどが、親から離れて一人で暮らすことになる。しかし、三十歳以上で仕事に就くことがまずできないから、水商売に入るか、だれかの愛人になって生活していこうとする。そして愛人になれば、今度は自分の将来をみてもらうために、その男の子供を産もうとするのだ。
こうしたことが目に見えているからこそ、親は娘が結婚年齢を過ぎる前に、結婚をしつこく催促することになる。
しかし、結婚をしても、次には男の子を産まなくてはならないという難関が待っている。私の知っている人に、女の子を二人続けて産んだために、家のなかでまるでお手伝いさんのような扱いを受けていた女性がいた。が、ようやく三人目に男の子を産むと、彼女はこれまでの家庭での態度を一八〇度変化させた。それまでびくびくしながら対していた舅《しゆうと》と姑《しゆうとめ》に、大きな声を出して言うべきことを言い、夫にも大胆に対応する女に変わっていったのである。
また、男の子が生まれないという理由で離婚するケースがいまだに後を絶たない。私自身、そうした離婚体験者を二人知っている。
一人は、結婚して五年しか経《た》っていないのに、子供が生まれないために受ける苦しみと、自ら感じる責任感に追い詰められ、家を出て行方をくらましてしまった。もう一人は、夫婦の愛情はあったのだが、男の子が生まれないということで、両親に申し訳ないからと、夫婦協議の上で離婚している。
それはこういう事情だった。
彼女は高校を出て電話の交換手として働いていたが、嫌な男との結婚なんて絶対しないと、親がもってくる見合いの話を断り続けていた。そしてこの年に三十歳になったのだったが、ある日、彼女の両親が見合いの話をもってきて、ここで結婚してくれなければもはや生きてはいけないと、連日連夜泣きながら彼女に訴え続けた。さすがの彼女ももはや抗し切れず、せめてもの親孝行にと、見合いをして結婚を承諾してしまった。そして、親が手配するままに結婚式を挙げ、盛大な披露の宴を催した翌日、家を出てしまったのである。
三十歳を過ぎた女が結婚もしないで家に親と住むためには、親娘ともかなりの恥ずかしさに耐えなくてはならない。前にも述べたように、何か欠点があるに違いないという目で世間から見られるからである。そのため、三十歳を過ぎた未婚の女のほとんどが、親から離れて一人で暮らすことになる。しかし、三十歳以上で仕事に就くことがまずできないから、水商売に入るか、だれかの愛人になって生活していこうとする。そして愛人になれば、今度は自分の将来をみてもらうために、その男の子供を産もうとするのだ。
こうしたことが目に見えているからこそ、親は娘が結婚年齢を過ぎる前に、結婚をしつこく催促することになる。
しかし、結婚をしても、次には男の子を産まなくてはならないという難関が待っている。私の知っている人に、女の子を二人続けて産んだために、家のなかでまるでお手伝いさんのような扱いを受けていた女性がいた。が、ようやく三人目に男の子を産むと、彼女はこれまでの家庭での態度を一八〇度変化させた。それまでびくびくしながら対していた舅《しゆうと》と姑《しゆうとめ》に、大きな声を出して言うべきことを言い、夫にも大胆に対応する女に変わっていったのである。
また、男の子が生まれないという理由で離婚するケースがいまだに後を絶たない。私自身、そうした離婚体験者を二人知っている。
一人は、結婚して五年しか経《た》っていないのに、子供が生まれないために受ける苦しみと、自ら感じる責任感に追い詰められ、家を出て行方をくらましてしまった。もう一人は、夫婦の愛情はあったのだが、男の子が生まれないということで、両親に申し訳ないからと、夫婦協議の上で離婚している。