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スカートの風75

时间: 2020-07-26    进入日语论坛
核心提示:人の話を聞いたら負け「あいまいさ」に加えて、日本人のもう一つの特徴は、自己主張があまり見られない反面、人の話をよく聞く、
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人の話を聞いたら負け

「あいまいさ」に加えて、日本人のもう一つの特徴は、自己主張があまり見られない反面、人の話をよく聞く、ということである。そのため、日本人からはしばしば、「韓国人は人の話を聞く耳をもたない」と言われる。
それはそのとおりだと思う。韓国人は、話を聞く側にいるのは能力がないからであり、人に話を聞かせることのできる者が能力ある者だと考える。そこで、人の話を聞くよりも自分の話を人に聞かせることに努力を傾けるのである。
韓国ではよく、「女が三人寄れば皿に穴があく」と言う。日本では「女が三人寄ればかしましい」だが、このニュアンスの違いは、かなり韓日の国民性の違いのポイントをついているように思う。「かしましい」と言えば、雑然とした騒がしさで、とりとめもなく拡散するイメージだが、「皿に穴があく」と言えば、何か鋭い力が同じ一点にぐんぐん集中するような感じだ。
韓国では女に限らず、人々が集まればみな大きな声を出して自分を主張しようとする。そしておのずと、声が大きく言葉数の多い人が話の中心になってゆく。そこでは、人の話を聞いてしまったら負けであり、相手に判断の余裕を与えることなく、「よいか、悪いか」「好きか、嫌いか」など、いち早く答えることが望まれる。じっくり考えていようものなら、「鈍い」と言われることになるから、とにかく思いついたことをパッと答えることになる。
声が小さい、しゃべり方のゆっくりした人に話すチャンスを与えようなどという配慮はまずされることがない。もっとも、韓国人にそういう人はあまりいない。だいたいが、自己主張の覇権争いとなる。そのため、抜きんでた強さがないと自分の考えをとおすことが難しい。
したがって、多くの者たちが、強い個性の者が話している間、どこかイライラした気分を抱え込むことになっている。ところが、日本人が相手だと、ほとんどが聞く側に回ってくれるので、韓国人は大いに快感を感じることができるのだ。人の話を聞いてゆっくり考えている日本人は、なんと頭が悪いのだろうと思えてしまうので、しばしの優越感にひたることができるのである。
こうした「自己主張」をめぐる国民性の違いは、教育のやり方の面でも、かなりくっきりとした対照を映し出していて面白い。
韓国の小学校で先生が子供たちに質問するときには、先生は必ず第三者の立場から「これは何ですか?」というように、生徒一人一人に問いかける。「先生はこう思うんだけど、みんなはどうかな?」などとは決して言わない。
先生が質問すると、子供たちは競って手を挙げる。手を挙げなければ主張がないとみなされるからだ。このとき子供は「なになにです」とはっきり答えなければならない。それをもし「なになにだと思います」と答えれば、「無責任な答えをするな」と先生に叱《しか》られる。先生は子供たちに、「答えに自信がなくても、はっきり『こうです』と主張しなさい。それで間違っても本人の責任だと心得なさい」と教える。
大学でも事情は変わらない。先生が提出したテーマに一人一人が答えることが授業であり、学生たちはテーマを受けて、どれだけ立派なレポートを発表できるかに集中して授業に臨む。
私もこうした韓国の授業に慣れていたので、日本の大学の授業を受けて面食らうことがずいぶん多かった。たとえば、あるレポート発表の日のことである。
四〇人くらいのクラスで留学生は私一人だった。私は日本人に負けないような立派なレポートを発表しようと意気に燃えていた。私は、他の学生たちが発表する間もそれを聞くことなく、自分のレポートを読み返し内容を反《はん》芻《すう》することに集中していた。やがて私の名前が呼ばれたので立ち上がり発表しようとすると、教授は「前に発表した人のレポートのアウトラインを説明し、感想を述べなさい」と言う。あわてた私は、日本語が難しくて内容がよくつかめなかったと逃げてしまった。
韓国の授業ではこのような質問をされることはまったくなかった。思い返してみれば、私は韓国での学生時代、他の学生のレポートに関心を持って耳を傾けたことは一度もなかったのである。日本の大学で学んで、私は世の中には「人の話を聞かなかったら負け」があることを、身をもって知らされたのである。
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