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スカートの風82

时间: 2020-07-26    进入日语论坛
核心提示:日本人の文章力 言葉の話をもう少し続けよう。アメリカに留学して後に日本に勉強にやって来た韓国人の知り合いがいる。彼はアメ
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日本人の文章力

 言葉の話をもう少し続けよう。
アメリカに留学して後に日本に勉強にやって来た韓国人の知り合いがいる。彼はアメリカで同じ留学生の日本女性と友だちになった。そこで気になったことが一つあると言う。それは、日本の友だちは英語の文章を実にきれいに書くが、それに比較すると自分のはかなり粗いと言わざるを得ないということだった。会話での英語の実力の差はほとんどないのに、文章の実力に格段の差がある。そこにどんな秘《ひ》訣《けつ》があるのだろうかとずっと考えていた。そして日本に来て、日本語の独得な受け身の形を勉強してみて、ようやく納得ができたと言う。
第三者の外国語をとおしてみてはじめて知ることになるのだが、日本人と比較すると韓国人の書く文章の方が、一般的に粗いと言えるように思う。韓国人の文章は、「AはBである」という直《ちよく》截《せつ》な表現が目立ち、日本人のように含みを持った文章、微妙なニュアンスを表現する文章が、なかなかうまくこなせないのである。
そこには確かに受け身形の問題もあるが、話し言葉とは違う、これまた日本語独得の文字の用法が大きいと思う。
日本語には、まったく同じ発音でも、文字で表現しなくてはわからない言葉がたくさんあるし、またニュアンスの異なる類似語もたくさんある。会話では同じ発音による意味の混同を避けるためもあって、それほど微妙な使い分けはされない。また会話では一般的に、あまり難しい言葉は使われないし、類似の意味の言葉をそれほど厳密に区別して使ってはいない。書き言葉ではそうした拘束がないため、さらに言葉が自由に使われることになるが、日本語には書き言葉でしか使わない言葉、あるいは表現方法がたくさんあるのである。
たとえば、「思う」と「考える」という言葉がある。これに対応する言葉は韓国には「センガクカダ」という言葉一つしかない。それで、日本語を勉強するときには、「考える」は頭で、「思う」は心でするものだと覚えることになる。しかし、この程度のことならばそれほど問題ではない。
日本語の書き言葉では、「思う」だけでも、他に「想う」「偲う」「恋う」「憶う」「懐う」など、さまざまな漢字を使って微妙な書き分けをすることができる。これをひとつひとつどんな場合に表現されるのかを覚えることは至難の技だ。さらに、「現れる」と「表れる」の違い、「聞く」と「聴く」の違いなど、いくら用例を見ても、どこがどう違うのか容易にはわからない言葉も多い。そして漢字とひらがなの他に、カタカナがあることがさらなる日本語の文章への戸惑いを形づくる。
そんなわけで、多くの日本人が日本語をこなし切れないような状況もあるのだが、私は日本語の簡略化には反対である。なぜなら、言葉は確実に意識を変えるからである。日本語のように、これだけ微細に人間の心のあり方や動きを、また自然の諸相を描写することのできる言葉は珍しいのではないだろうか。もし簡略化されれば、きっと言葉の数だけしか人間や自然を知ることができなくなってしまうに違いない。
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