ところで、世界で最も敬語の多い言葉が韓国語である。いつ、どんなときに用いるかが決められているわけではなく、そのときどきの雰囲気によって使われると言ってよいが、韓国語の敬語は日本語とは逆に、自分の側に対しても用いられるのである。
たとえば、こちらから韓国の会社に韓国語で「社長をお願いします」と電話をすれば、相手が不在の場合なら「私の方の社長さまにおかれましては、いまはいらっしゃいません」と返事が返ってくるだろう。また、友だちの病気のお父さんの具合を尋ねれば、「私のお父さまにおかれましては、いまお身体をお痛がられておられます」といった具合なのである。なお、韓国語では「痛い」などの形容詞も敬語化される。
このように、外に対して身内に敬語を用いることは、日本語では決してあってはならない語法だが、韓国では逆に使うことが好ましい語法なのである。日本語をある程度使う韓国人たちも、敬語だけはどうも日本式の用法になじめない。そこでつい韓国式に敬語を使って、日本人に異様な感じを与えることになる場合がしばしばある。
韓国でも謙譲語は一般に用いられるが、日本語の「〜します」は韓国語ではそのまま謙譲語になっているので、日本語には「〜して差し上げます」としか訳せない。この言葉は韓国語では最大級の謙譲語である。それで、日本語を少し覚えた韓国人は、「教えて差し上げます」「助けて差し上げます」「送って差し上げます」「話をして差し上げます」と、「差し上げます」を連発することが多い。
しかし、日本語では「差し上げます」と言えば、「いくらかの犠牲を払ってサービスをして上げましょう」というほどの言葉になる。相手が困っているときなどのように、相手がそれを受けて当然と思われる場合に使うのが一般的である。相手に恩を着せることになるので、それを和らげるため、自分をへりくだった位置におこうとする言葉だ。したがって、これもケースバイケースで使わなくてはならない。
私の知る日本人食堂店主は、日本へ来て間もない韓国人の店員を雇っている。この店員が「差し上げます」をよく使うのだと言う。最初のうちは言葉を知らないのだからと、あまり気にしないようにしていたと言うが、「明日、旅行に行くから」と言って「送って差し上げます」と言われたり、自転車のパンクを直していて「手伝って差し上げます」とか言われているうちに、なんだか親切の押し売りをされているような感じがしてきたと苦笑いをしていた。
このように韓国人の日本語がなかなか韓国的な日本語から脱却できないのは、韓国人にとって日本語は、はじめのうちは覚えやすい言葉であるため、それがかえってあだになっている場合が多い。
日本語学校には世界のいろいろな国の人たちが勉強しているが、そのなかで最も早く日本語を覚えてしまうのが韓国人だ。それは、文章の語順が同じであり、同じ母音調和があり、漢字にも違和感がないため当然のことなのだ。が、そのためにいい気になり、ひととおり通じることで満足してしまう者が多く、さらに深く日本語を知ろうとする者が少ないのである。
一年も日本にいれば、どんな外国人でもその程度の日本語はマスターできる。問題はそれからなのである。そのへんからやっと、受け身の語法のある欧米人や、漢字の意味と用法にたけている中国人などが、日本語のコツをつかむ本領を発揮してゆくのだ。
そこで残念なことに、適当に日本語を話せる韓国人は外国人のなかでも圧倒的に多いにもかかわらず、深いところまで日本語を理解して使っているかどうかの点では、最もこころもとない部類に入れられることになってしまう。日本に一年いる韓国人も三年いる韓国人も、ほとんど日本語の実力に差がないのである。
韓国人にとって、日本語はかなり早く覚えられる言葉だが、すぐに壁にぶつかってしまう。それにはやはり、もともとの発想の違いが大きい。とくに敬語に関しては、私にしても、知識としてはわかっているのに、いざ使う段になるとすぐに出てこないこともあり、また間違ってしまうことも少なくないのである。
たとえば、こちらから韓国の会社に韓国語で「社長をお願いします」と電話をすれば、相手が不在の場合なら「私の方の社長さまにおかれましては、いまはいらっしゃいません」と返事が返ってくるだろう。また、友だちの病気のお父さんの具合を尋ねれば、「私のお父さまにおかれましては、いまお身体をお痛がられておられます」といった具合なのである。なお、韓国語では「痛い」などの形容詞も敬語化される。
このように、外に対して身内に敬語を用いることは、日本語では決してあってはならない語法だが、韓国では逆に使うことが好ましい語法なのである。日本語をある程度使う韓国人たちも、敬語だけはどうも日本式の用法になじめない。そこでつい韓国式に敬語を使って、日本人に異様な感じを与えることになる場合がしばしばある。
韓国でも謙譲語は一般に用いられるが、日本語の「〜します」は韓国語ではそのまま謙譲語になっているので、日本語には「〜して差し上げます」としか訳せない。この言葉は韓国語では最大級の謙譲語である。それで、日本語を少し覚えた韓国人は、「教えて差し上げます」「助けて差し上げます」「送って差し上げます」「話をして差し上げます」と、「差し上げます」を連発することが多い。
しかし、日本語では「差し上げます」と言えば、「いくらかの犠牲を払ってサービスをして上げましょう」というほどの言葉になる。相手が困っているときなどのように、相手がそれを受けて当然と思われる場合に使うのが一般的である。相手に恩を着せることになるので、それを和らげるため、自分をへりくだった位置におこうとする言葉だ。したがって、これもケースバイケースで使わなくてはならない。
私の知る日本人食堂店主は、日本へ来て間もない韓国人の店員を雇っている。この店員が「差し上げます」をよく使うのだと言う。最初のうちは言葉を知らないのだからと、あまり気にしないようにしていたと言うが、「明日、旅行に行くから」と言って「送って差し上げます」と言われたり、自転車のパンクを直していて「手伝って差し上げます」とか言われているうちに、なんだか親切の押し売りをされているような感じがしてきたと苦笑いをしていた。
このように韓国人の日本語がなかなか韓国的な日本語から脱却できないのは、韓国人にとって日本語は、はじめのうちは覚えやすい言葉であるため、それがかえってあだになっている場合が多い。
日本語学校には世界のいろいろな国の人たちが勉強しているが、そのなかで最も早く日本語を覚えてしまうのが韓国人だ。それは、文章の語順が同じであり、同じ母音調和があり、漢字にも違和感がないため当然のことなのだ。が、そのためにいい気になり、ひととおり通じることで満足してしまう者が多く、さらに深く日本語を知ろうとする者が少ないのである。
一年も日本にいれば、どんな外国人でもその程度の日本語はマスターできる。問題はそれからなのである。そのへんからやっと、受け身の語法のある欧米人や、漢字の意味と用法にたけている中国人などが、日本語のコツをつかむ本領を発揮してゆくのだ。
そこで残念なことに、適当に日本語を話せる韓国人は外国人のなかでも圧倒的に多いにもかかわらず、深いところまで日本語を理解して使っているかどうかの点では、最もこころもとない部類に入れられることになってしまう。日本に一年いる韓国人も三年いる韓国人も、ほとんど日本語の実力に差がないのである。
韓国人にとって、日本語はかなり早く覚えられる言葉だが、すぐに壁にぶつかってしまう。それにはやはり、もともとの発想の違いが大きい。とくに敬語に関しては、私にしても、知識としてはわかっているのに、いざ使う段になるとすぐに出てこないこともあり、また間違ってしまうことも少なくないのである。