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スカートの風84

时间: 2020-07-26    进入日语论坛
核心提示:韓国語を習う日本のビジネスマンたち 私が韓国人と日本人の比較を語る場合、どうしても言葉の問題が多くなるのは、私が韓国人に
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韓国語を習う日本のビジネスマンたち

 私が韓国人と日本人の比較を語る場合、どうしても言葉の問題が多くなるのは、私が韓国人に日本語を教え、日本人に韓国語を教えるという仕事をしているからである。ここで、私という「教師」に向き合う両国の「生徒」たちのエピソードを少しご紹介してみたい。ただし、韓国人の場合はほとんどが新宿歌《か》舞《ぶ》伎《き》町《ちよう》のホステスであり、日本人の場合はほとんどがビジネスマンであることを考慮してお聞きいただきたい。したがって授業の時間帯も、前者は昼間、後者は夜ということになる。
まず日本人「生徒」の話である。
ほとんどの人が、受講をはじめたい月の一カ月くらい前に、申し込み金を添えて受講を申し込んで来る。授業の回数は毎週一回か二回を希望する人がほとんどだ。そうして、六カ月以上、一年〜二年と長い時間をかけてゆっくり覚えようとする人が多い。
授業は私のやり方にしたがって、整然と進められ、計画どおりに予定が消化されてゆく。そのことに対して意見を言う人は皆無である。そのため、私の教え方がいいのか悪いのか、どのように受け取られているのか、私にはまるでわからないが、私としてはずいぶんと気が楽なことは確かである。それでも彼らが、すぐに読み書きできるようになろうとは思わずに、文法からはじまって、着々と勉強していきたいと思っていることはよくわかる。したがって、私もそうした授業を進めていった。
あるとき、貿易会社の社長が二カ月ほど通った後に、仕事が忙しくなったからと私の教室をやめた。そしてしばらくたって、その社長から電話がかかってきたのだが、そのときに私は指導法に対してのかなりな批判を受けることになった。「学校のシステムが悪い」「教科書がよくない」「教える方法が悪い」などである。どうも、早く話せるようになりたかったらしい。
日本人から批判を受けたのは、後にも先にもこの社長だけであったが、ともかく批判も賞賛もなかったため、それまで私は自分の教え方を反省する機会がまったくなかった。だからこの批判は大変ありがたかったが、具体性に乏しく、実際の授業の参考にできることは少なかった。
それにしても、なぜ通っている間に私に指摘してくれなかったのかと私は言いたかった。そうすれば、私のやり方を再検討するなどして、辞めなくてもよいようにできたかもしれなかった。自己主張を抑えるのがいくら日本人的ではあっても、高いお金を払っているわけだから、自分の利益を守るためにも自己主張しないのはおかしい。しかも、利益を逸してから自己主張するのはなおさらおかしいと思う。
ただ、教え方とは別なことで指摘を受けたことがある。それは、私の日本語の敬語の遣い方であった。私の教室の「生徒」たちは、多くが韓日ビジネスに関係する企業の部長や課長クラスの人ばかりだった。そのため、私は自分の気がつかないうちに、例の「差し上げます」を連発していたのである。しかも、「私のお父さまにおかれましては……」の敬語も相当使っていたらしい。まだまだ無意識に日本語を使えていないのだ。このときから私は、敬語の使用にはかなり意識的にならざるを得ないことを知ったのである。
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