次に韓国人「生徒」の話である。
私は教室の宣伝のために、韓国人のよく集まっている場所で定期的にパンフレットをまくようにしている。韓国人の場合はそれから、二、三日以内で勝負が決まる。勉強をしたいと思うものは、パンフレットを手にしてすぐに電話をかけて来るからだ。それでやって来た者は、ほとんどが明日から勉強したいと言う。こうして、二、三日たって集まって来た人たちでクラスを編成し、即授業開始となるのである。
時間割としては、週に二回、三回、四回のコースがあるが、ほとんどが四回コースを希望する。なかには週五回を希望する者もいる。いち早く覚えたいという気持ちでいることがよくわかる。日本人は週に一回か二回が普通だから、韓国人は一人で日本人三人分の収入を私にもたらしてくれることになる。
また、日本人が韓国語を習いたがる熱意よりも、韓国人が日本語を習いたがる熱意の方が数段高いため、その限りでは教えやすいと言える。しかし私は、日本人五人を相手に教えるより、韓国人一人を教える方が数段疲れるのである。
授業中のおしゃべりが多いのはよいとしても、ともかく身勝手なところが多いのである。たとえば、欠席するときには、必ず前もって連絡してくれるよう頼んであった。日本人でそれを守らなかった者は一人もいなかったが、韓国人で守る者はほとんどいなかった。そのために待たされたり、こちらから電話をしたりでずいぶん手間をとらされるのである。
韓国人の場合は、最初はかなり長い間勉強するつもりで来るのだが、これまでに三カ月以上続けて通った者はほとんどいない。したがって、日本人の授業料は六カ月でいくらと決めてあるが、同じように決めたら韓国人はだれも来ないだろう。韓国人には一カ月でいくらというシステムをつくらなくてはならない。
そして授業を進めるについては、日本語の文法を一つ一つ説明し、日本語と韓国語の違いなどから始めようとすると、「動詞、形容詞、形容動詞なんていらないから、はやく会話から教えて下さい」と、途端に文句を言われることになる。こうなるともうどうしようもないから、酒場で使えるような言葉をいくつか教えて興味をかき立てながら、「連体形ではこうよ、自動詞ではこうなの、他動詞だとこうなるのよ」と言いながら、自然に文法へと入っていく教え方を学んでいった。
しかしこの「授業改革」に関しては、教室を辞めた後で文句を言った日本人よりも、現場で直接私に文句を言った韓国人の方が、私にとってはより尊い糧《かて》になった。また「生徒」の方にしても、「授業改革」の要求もせずに上達のスピードの遅さを一方的に教える方に押しつけて辞め、再び新たな場を探さなくてはならなくなった日本人よりも、その場その場で言いたいことを言うことによって、結局、自分たちに合った教え方を結実させた韓国人の方が、より多くの糧を得ることができたはずである。
ともかくも、これだけ、大きな違いのあるふたつの国の人々と、そのときどきにきちんと向き合うには、自分にとっても相手にとっても、不必要な食い違いが起こることのないよう、かなりの努力を傾ける必要があった。そのため、私は一日の半分は日本人のように、一日の半分は韓国人のように振る舞うことを徹底しているうちに、いまでは、日本人でも韓国人でもない中途半端な人間になってしまったような気分に陥っている。
このように言っても、私はことさら「日本人論」を勉強したわけでも、日本文化や日本の伝統を学んだわけでもない。徹底して日本語の遣い方に注意し、日本的な生活習慣を身につけようとしたのである。そのように、私が日本語を知識や便宜のために利用しようとする意識を捨て、日常的な生き方として身につけようとしていったために、こんなところまでやって来てしまったのだと思える。
私は教室の宣伝のために、韓国人のよく集まっている場所で定期的にパンフレットをまくようにしている。韓国人の場合はそれから、二、三日以内で勝負が決まる。勉強をしたいと思うものは、パンフレットを手にしてすぐに電話をかけて来るからだ。それでやって来た者は、ほとんどが明日から勉強したいと言う。こうして、二、三日たって集まって来た人たちでクラスを編成し、即授業開始となるのである。
時間割としては、週に二回、三回、四回のコースがあるが、ほとんどが四回コースを希望する。なかには週五回を希望する者もいる。いち早く覚えたいという気持ちでいることがよくわかる。日本人は週に一回か二回が普通だから、韓国人は一人で日本人三人分の収入を私にもたらしてくれることになる。
また、日本人が韓国語を習いたがる熱意よりも、韓国人が日本語を習いたがる熱意の方が数段高いため、その限りでは教えやすいと言える。しかし私は、日本人五人を相手に教えるより、韓国人一人を教える方が数段疲れるのである。
授業中のおしゃべりが多いのはよいとしても、ともかく身勝手なところが多いのである。たとえば、欠席するときには、必ず前もって連絡してくれるよう頼んであった。日本人でそれを守らなかった者は一人もいなかったが、韓国人で守る者はほとんどいなかった。そのために待たされたり、こちらから電話をしたりでずいぶん手間をとらされるのである。
韓国人の場合は、最初はかなり長い間勉強するつもりで来るのだが、これまでに三カ月以上続けて通った者はほとんどいない。したがって、日本人の授業料は六カ月でいくらと決めてあるが、同じように決めたら韓国人はだれも来ないだろう。韓国人には一カ月でいくらというシステムをつくらなくてはならない。
そして授業を進めるについては、日本語の文法を一つ一つ説明し、日本語と韓国語の違いなどから始めようとすると、「動詞、形容詞、形容動詞なんていらないから、はやく会話から教えて下さい」と、途端に文句を言われることになる。こうなるともうどうしようもないから、酒場で使えるような言葉をいくつか教えて興味をかき立てながら、「連体形ではこうよ、自動詞ではこうなの、他動詞だとこうなるのよ」と言いながら、自然に文法へと入っていく教え方を学んでいった。
しかしこの「授業改革」に関しては、教室を辞めた後で文句を言った日本人よりも、現場で直接私に文句を言った韓国人の方が、私にとってはより尊い糧《かて》になった。また「生徒」の方にしても、「授業改革」の要求もせずに上達のスピードの遅さを一方的に教える方に押しつけて辞め、再び新たな場を探さなくてはならなくなった日本人よりも、その場その場で言いたいことを言うことによって、結局、自分たちに合った教え方を結実させた韓国人の方が、より多くの糧を得ることができたはずである。
ともかくも、これだけ、大きな違いのあるふたつの国の人々と、そのときどきにきちんと向き合うには、自分にとっても相手にとっても、不必要な食い違いが起こることのないよう、かなりの努力を傾ける必要があった。そのため、私は一日の半分は日本人のように、一日の半分は韓国人のように振る舞うことを徹底しているうちに、いまでは、日本人でも韓国人でもない中途半端な人間になってしまったような気分に陥っている。
このように言っても、私はことさら「日本人論」を勉強したわけでも、日本文化や日本の伝統を学んだわけでもない。徹底して日本語の遣い方に注意し、日本的な生活習慣を身につけようとしたのである。そのように、私が日本語を知識や便宜のために利用しようとする意識を捨て、日常的な生き方として身につけようとしていったために、こんなところまでやって来てしまったのだと思える。