このまぜる料理の歴史は、一方では手っ取り早さを好む歴史でもあり、その点では韓国人のせっかちな気質形成の歴史でもあったように思う。世界で人々が最も速く歩いている街がソウルだと言われる。そのソウルを外国人が見ると、韓国人はいたって勤勉な民族と見えるらしい。が、特別なことがなくとも、常にソウルの街は日本で言う「師走《しわす》」さながらのあわただしさのなかにある。
私も韓国にいるときは、半分は走っているような歩き方がクセになっていた。東京に来て間もないころは、そのすこぶるのろい人々の歩行の列の間を、イライラしながら駆け抜けていたものである。東南アジアに行ったときなどは、あまりにものんびりしている人々の姿には、情けなさすら感じていた。いまでは私もすっかりのろい人になったつもりでいるが、それでも日本人の友だちからは歩き方がずいぶん速いと言われる。
韓国人は歩き方だけではなく、すべてにせっかちである。とくに話し方が速いし受け答えも速い。そして、最近は言葉そのものが縮められて使われることも多くなっている。たとえば、「何をめしあがりますか」(ムオスドウシゲスムニカ)という言葉が「な、めしゃが」(モルドウシルレヨ)とでもいうような具合に、どんどん簡略化してしまっている。現在の韓国は、一般的に言っても、なにやら、せわしなさがますます激しくなっているような感じである。
私は日本へやって来た韓国人のビジネスマンと雑談をする機会があれば、しばしばこうした質問をしてみている。
「一年後の一〇〇万ウォンといまの一〇万ウォンとどちらを選びますか?」
大半が「いまの一〇万ウォンさ」と答える。
一年後にはどうなるかわからない、戦争でも起きて地球に終末がやって来るかもしれない、どうしてそんな先のお金を目当てに今を生きられようか——それが彼らの正直な心情だと思う。
韓国の交通事故発生率は世界トップ、一九八九年の数字では一日に平均三六人が死亡している。人口四二〇〇万の国で、である。タクシーは市内では八〇キロから一〇〇キロで走るのが普通だ。生来のせっかちな性格の上にノルマを課せられるわけだから、彼らのスピード感覚は極度に加速されたものとなっている。
せっかちな韓国人がさらにせっかちに動くようになったのは、やはりソウル・オリンピックを目指しての高度経済成長がもたらした結果だと思う。当時の韓国の経済成長は、成長率ではかつての日本をしのいでいた。それが大きな自慢であった。しかしそれがご存じのように突然にストップしてしまった。日本のコトワザで言えば、韓国はどうやら「急《せ》いては事をし損じる」をやってしまったのだと思う。
攻撃に入ったらその手を休めてはならないというのが、韓民族が歴史的に受け取ってきた教訓だったと言うべきなのだろうか。外敵の侵略に備え、外敵の支配下に耐え、そこでしたたかに生活をすることに技量を発揮して来た韓民族。この歴史はどのように生かすことができるのだろうか。
私も韓国にいるときは、半分は走っているような歩き方がクセになっていた。東京に来て間もないころは、そのすこぶるのろい人々の歩行の列の間を、イライラしながら駆け抜けていたものである。東南アジアに行ったときなどは、あまりにものんびりしている人々の姿には、情けなさすら感じていた。いまでは私もすっかりのろい人になったつもりでいるが、それでも日本人の友だちからは歩き方がずいぶん速いと言われる。
韓国人は歩き方だけではなく、すべてにせっかちである。とくに話し方が速いし受け答えも速い。そして、最近は言葉そのものが縮められて使われることも多くなっている。たとえば、「何をめしあがりますか」(ムオスドウシゲスムニカ)という言葉が「な、めしゃが」(モルドウシルレヨ)とでもいうような具合に、どんどん簡略化してしまっている。現在の韓国は、一般的に言っても、なにやら、せわしなさがますます激しくなっているような感じである。
私は日本へやって来た韓国人のビジネスマンと雑談をする機会があれば、しばしばこうした質問をしてみている。
「一年後の一〇〇万ウォンといまの一〇万ウォンとどちらを選びますか?」
大半が「いまの一〇万ウォンさ」と答える。
一年後にはどうなるかわからない、戦争でも起きて地球に終末がやって来るかもしれない、どうしてそんな先のお金を目当てに今を生きられようか——それが彼らの正直な心情だと思う。
韓国の交通事故発生率は世界トップ、一九八九年の数字では一日に平均三六人が死亡している。人口四二〇〇万の国で、である。タクシーは市内では八〇キロから一〇〇キロで走るのが普通だ。生来のせっかちな性格の上にノルマを課せられるわけだから、彼らのスピード感覚は極度に加速されたものとなっている。
せっかちな韓国人がさらにせっかちに動くようになったのは、やはりソウル・オリンピックを目指しての高度経済成長がもたらした結果だと思う。当時の韓国の経済成長は、成長率ではかつての日本をしのいでいた。それが大きな自慢であった。しかしそれがご存じのように突然にストップしてしまった。日本のコトワザで言えば、韓国はどうやら「急《せ》いては事をし損じる」をやってしまったのだと思う。
攻撃に入ったらその手を休めてはならないというのが、韓民族が歴史的に受け取ってきた教訓だったと言うべきなのだろうか。外敵の侵略に備え、外敵の支配下に耐え、そこでしたたかに生活をすることに技量を発揮して来た韓民族。この歴史はどのように生かすことができるのだろうか。