話はいろいろと飛ぶのだけれども、われながら呆《あき》れるくらいに日本理解に貪《どん》欲《よく》になり、またほとんど抵抗なく受け入れることができるようになっても、なお長い間、たった一つだけ容易に入って行くことのできない壁があった。それが伝統いけばななのだが、その話をしてみたい。
日本のいけばなは室町時代に花開き、江戸時代にその様式美を完成させたと言われる。日本の封建時代が産み出した庶民の芸事の最たるものがいけばなだろう。韓国にも花をいける習慣がないことはないが、日本のような様式美の追究としての伝統いけばなはついに起こらなかった。
韓国のいけばなは、強く派手な色の花を使い、花の存在をはっきりさせるようにして、いけるというよりは器に盛るのである。野に咲く花で生活を飾ることがとても楽しくて、いけばなは、韓国で生活していたころの私の最大の趣味でもあった。そのため、日本に来て一番関心を持ったのもいけばなだった。休みの日には、デパートなどで催されている花展を求めて、あちこちと見て回ることが多かった。
そうして知った日本のいけばなの美は、私にとっては理解を絶するものだった。
現代花はそれほどではないものの、伝統いけばなについては、まず、はっきりとした色の花を使った作品がほとんど見られない。多くがあいまいな中間色の花が用いられ、韓国的なセンスから言えば、いかに目立たないかに工夫を凝らしたとも言いたくなるような、地味な作品ばかりなのである。
花ならば、すぐに目をひく鮮やかさ、山野の緑の中に際立った赤や黄、一面に咲き乱れるとりどりの色、色、色……。その花を愛《め》でなくてなんの花かの思いが私にはあった。簡素で色彩に乏しい村落の生活にとって、凜《りん》として立ち伸びる一輪の花の輝きは、異境からの艶《つや》やかな恵みそのものでもあった。それなのに、日本人はなぜそうした花の美をことさらに退けるようにしていけるのだろうか?
私は日本に来て、物質的にも感覚的にも、できるだけ日本式の生活を取り入れようとした。事実ほとんどのものに抵抗感がなくなったばかりか、しだいに親しみの度合いを増していった。食べ物も遊びも、絵も踊りも歌も……。しかし、いけばなだけは頭が痛かった。この美的な感覚だけは、どうしても変わってはいかないのである。また、私自身いけばなの感覚だけは、なぜか変えたいとも思わなかった。
日本の伝統いけばなを見て美しいと感じるようになったのは、日本に来て五年ほど経《た》ってからのことである。いつ、どのようにしてそうなったのかはよくわからないが、あるとき、いけばなの美はその奥行きにあると感じ、そこから私の前に突然に美があふれ出てきたのである。
清《せい》楚《そ》なる存在へのいとおしさ、静と動のバランスがかすかに崩れた構成の美、生の花の由来を忘れさせてくれるもうひとつの自然世界、たおやか・しなやか・すずし・侘《わび》し・つまし、など、やまと言葉でなくては形容不可能な古趣の味。そのすべてが感受できるとは言えないが、いまの私は日本の伝統いけばなに、惜しみなく愛情を注ぐことができている。
手前勝手な言い方になるが、伝統いけばなの美が日本を理解する最後の難関として私に残ったのは、その美が日本人の意識の、相当に深いところで感じられているからであるような気がする。うまく言えないのだが、日本のいけばなは「不安な存在」である。形も色も明暗も全体の姿もすべてが不安である。韓国の花はどっしりとした安定感をもっているし、それは西洋のフラワーアレンジメントにしても同じことだ。
日本は韓国と比べれば安定の国ではないのか。その美的表現がなぜ不安になるのか。それがなぜかはわからないが、不安は優しいのである。そして、不安は精神を動かさずにはおかないし、安定はややもすれば精神の眠りを誘う。
日本のいけばなは室町時代に花開き、江戸時代にその様式美を完成させたと言われる。日本の封建時代が産み出した庶民の芸事の最たるものがいけばなだろう。韓国にも花をいける習慣がないことはないが、日本のような様式美の追究としての伝統いけばなはついに起こらなかった。
韓国のいけばなは、強く派手な色の花を使い、花の存在をはっきりさせるようにして、いけるというよりは器に盛るのである。野に咲く花で生活を飾ることがとても楽しくて、いけばなは、韓国で生活していたころの私の最大の趣味でもあった。そのため、日本に来て一番関心を持ったのもいけばなだった。休みの日には、デパートなどで催されている花展を求めて、あちこちと見て回ることが多かった。
そうして知った日本のいけばなの美は、私にとっては理解を絶するものだった。
現代花はそれほどではないものの、伝統いけばなについては、まず、はっきりとした色の花を使った作品がほとんど見られない。多くがあいまいな中間色の花が用いられ、韓国的なセンスから言えば、いかに目立たないかに工夫を凝らしたとも言いたくなるような、地味な作品ばかりなのである。
花ならば、すぐに目をひく鮮やかさ、山野の緑の中に際立った赤や黄、一面に咲き乱れるとりどりの色、色、色……。その花を愛《め》でなくてなんの花かの思いが私にはあった。簡素で色彩に乏しい村落の生活にとって、凜《りん》として立ち伸びる一輪の花の輝きは、異境からの艶《つや》やかな恵みそのものでもあった。それなのに、日本人はなぜそうした花の美をことさらに退けるようにしていけるのだろうか?
私は日本に来て、物質的にも感覚的にも、できるだけ日本式の生活を取り入れようとした。事実ほとんどのものに抵抗感がなくなったばかりか、しだいに親しみの度合いを増していった。食べ物も遊びも、絵も踊りも歌も……。しかし、いけばなだけは頭が痛かった。この美的な感覚だけは、どうしても変わってはいかないのである。また、私自身いけばなの感覚だけは、なぜか変えたいとも思わなかった。
日本の伝統いけばなを見て美しいと感じるようになったのは、日本に来て五年ほど経《た》ってからのことである。いつ、どのようにしてそうなったのかはよくわからないが、あるとき、いけばなの美はその奥行きにあると感じ、そこから私の前に突然に美があふれ出てきたのである。
清《せい》楚《そ》なる存在へのいとおしさ、静と動のバランスがかすかに崩れた構成の美、生の花の由来を忘れさせてくれるもうひとつの自然世界、たおやか・しなやか・すずし・侘《わび》し・つまし、など、やまと言葉でなくては形容不可能な古趣の味。そのすべてが感受できるとは言えないが、いまの私は日本の伝統いけばなに、惜しみなく愛情を注ぐことができている。
手前勝手な言い方になるが、伝統いけばなの美が日本を理解する最後の難関として私に残ったのは、その美が日本人の意識の、相当に深いところで感じられているからであるような気がする。うまく言えないのだが、日本のいけばなは「不安な存在」である。形も色も明暗も全体の姿もすべてが不安である。韓国の花はどっしりとした安定感をもっているし、それは西洋のフラワーアレンジメントにしても同じことだ。
日本は韓国と比べれば安定の国ではないのか。その美的表現がなぜ不安になるのか。それがなぜかはわからないが、不安は優しいのである。そして、不安は精神を動かさずにはおかないし、安定はややもすれば精神の眠りを誘う。