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スカートの風89

时间: 2020-07-26    进入日语论坛
核心提示:日本語は人格を変える? 韓国の伝統文化に最も欠けているのが無形文化である。いまなお見るに耐えるものは、ほとんどつくられて
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日本語は人格を変える?

 韓国の伝統文化に最も欠けているのが無形文化である。いまなお見るに耐えるものは、ほとんどつくられてこなかった。李氏朝鮮以来、文化を担うものは、存在感のはっきりとした、目に見える物質・肉体・権力——それ以外にはなかった。物質としての形の美あってこその文化であり、精神性はあくまでそれに付随する二次的なものでしかなかった。
日本では、物質や肉体はあくまで精神を宿らせる、仮の存在とみなされているようだ。たとえば、あの弱々しい天皇がなぜ日本の象徴なのだろうかと、韓国にいる間はずっと疑問に思っていた。それが、目に見える存在としての天皇ではなく、日本人の精神文化に深く根ざしたところに由来をもつ、ある精神性の象徴としての天皇だということを知ったのは驚きだった。韓国の大統領は精神的な象徴ではまったくなく、はっきりと権力の象徴である。韓国の大統領はみな軍人出身、陸軍士官学校出身である。
古代以来綿々と天皇位が継承されてきたことも驚異的なことだが、さらに恐ろしいのは日本語である。なぜなら、日本語は人格を変える言語なのである。このことに気づいている人は韓国人でも日本人でもほんとうに少ないように思う。
人格と言うと気《け》色《しき》ばむ人もいるかもしれないが、実際的にはその人の気分を変えるのである。そして、この気分のなかに「日本」がいっぱいつまっているのである。それを知らなかった私は、確実に「罠《わな》」にはまってしまったように思う。これは実に恐ろしいことである。
韓国語にはそうした「危険性」はない。テクニックとして覚える韓国語で充分通用させることができるからである。しかし日本語は、文法や言葉の意味をいくら覚えても上達することがない。ほんとうに上達しようと思えば、意味ではなく「言わんとするところ」を悟るセンスが必要となる。記号としての言葉ではなく、そのもうひとつ奥にあるとでも言うべき、ある種の沈黙に触れなくてはならないのだ。そのへんの日本語のあり方に気づいて突っ込んで行こうとすれば、これは日本的な非論理思考そのものをたどることになる。だから、どうしても理論ではなく、話す相手から伝わってくる気分の流れに乗せられて行く先に、「わかる」という体験をするしかなくなる。つまり自分の気分を相手の気分に変えなくては、「言わんとするところ」がわからないのである。
この「わかる」体験がある程度習慣になったときに、人はきっと日本人になるのだ。その寸前で立ち止まることが果たしてできるものなのかどうか——これが日本語の恐ろしさである。
日本語はおそらく、想像もつかない歴史的な重層構造、民族的な多重構造を入り組ませて形づくられてきた言語である。直観的にそう思うのにすぎないのだが、日本列島の地理的な位置と歴史的な連続性から言っても、充分そのように想像できるのではないだろうか。
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