韓国にはハングルという独特の文字がある。ハングルは李《り》氏《し》朝鮮時代の世宗大王《セゾンデワン》(一四四三年即位の四代王)の時代につくられた。世界で最後につくられた文字だけあって、文法的な例外も少なく、文字形と音声の関係にも合理的な関係づけが行なわれていて、実に科学的な思考でつくられている。
李氏朝鮮時代、一般庶民は学問を受けることができなかったので、庶民で漢字を読める者は皆無に等しかった。そのため、だれにも簡単に読み書きができる文字をということでつくられたのがハングルである。しかし、簡便に読み書きできるものの、深い思考や高度な概念を駆使する言葉としてはおよそ不向きな文字である。
漢字の文化をもっている韓国では、ハングルを表音文字として用い、意味は漢字のそれをそのままで使っている。ある意味では、全部をひらがなあるいはカタカナで書いたようになるため、どうしても深い思考を導く力を持つことができないのだ。
それにもかかわらず、韓国では、わがハングルこそ世界で最も科学的な文字であり、世界のどの言葉も発音できるようにつくられている、誇るべき万能の文字であると自慢される。しかし、ハングルを勉強した外国人はすぐに文字としての限界を知ってしまうから、国内だけの自慢話の域を出ることがない。
漢字・ハングル混じり文がなぜ考案されないのかとか、日本語を参考に改良できないのかとよく言われるが、韓国ではハングルが民族精神の象徴として持ち上げられているため、そうした方向性が目指されることがない。ハングルを用い、ハングルを尊重してはじめて愛国者だと言われるのである。
このハングル絶対主義がある限り、韓国は精神的に貧弱な文化と科学しか産み出せないことに甘んじるしかないだろう。これは自分の国の問題としては、あまりに決定的であるだけに、とうてい残念などという言葉では言い表すことができない。身を切りきざまれる痛みとともに訴えるしかない悲しい問題である。
李氏朝鮮時代、一般庶民は学問を受けることができなかったので、庶民で漢字を読める者は皆無に等しかった。そのため、だれにも簡単に読み書きができる文字をということでつくられたのがハングルである。しかし、簡便に読み書きできるものの、深い思考や高度な概念を駆使する言葉としてはおよそ不向きな文字である。
漢字の文化をもっている韓国では、ハングルを表音文字として用い、意味は漢字のそれをそのままで使っている。ある意味では、全部をひらがなあるいはカタカナで書いたようになるため、どうしても深い思考を導く力を持つことができないのだ。
それにもかかわらず、韓国では、わがハングルこそ世界で最も科学的な文字であり、世界のどの言葉も発音できるようにつくられている、誇るべき万能の文字であると自慢される。しかし、ハングルを勉強した外国人はすぐに文字としての限界を知ってしまうから、国内だけの自慢話の域を出ることがない。
漢字・ハングル混じり文がなぜ考案されないのかとか、日本語を参考に改良できないのかとよく言われるが、韓国ではハングルが民族精神の象徴として持ち上げられているため、そうした方向性が目指されることがない。ハングルを用い、ハングルを尊重してはじめて愛国者だと言われるのである。
このハングル絶対主義がある限り、韓国は精神的に貧弱な文化と科学しか産み出せないことに甘んじるしかないだろう。これは自分の国の問題としては、あまりに決定的であるだけに、とうてい残念などという言葉では言い表すことができない。身を切りきざまれる痛みとともに訴えるしかない悲しい問題である。