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スカートの風94

时间: 2020-07-28    进入日语论坛
核心提示:「文化の差」以前に感じる嫌悪感郷に入らば郷に従えその国に行けばその国のやり方に従えということを、私は、見よう見まねでやれ
(单词翻译:双击或拖选)
「文化の差」以前に感じる嫌悪感

郷に入らば郷に従え——その国に行けばその国のやり方に従えということを、私は、見よう見まねでやればいいのだろうと簡単に考えていた。ところが、もちろんそうではなかった。日本という郷に足を踏み入れて三日とたたないうちに、「とてもまねることなどできない」と悲鳴を上げることになってしまったのである。自分の短《たん》慮《りよ》を棚に上げて、私はこの格言をつくった古人を怨んだ。古人はなぜ格言の前に、「恥をしのんで」と加えておいてくれなかったのかと、そう怨んだのだった。
それは、初めて日本の食堂に入ったときのことだった。最初は気がつかなかったが、何かがおかしいと感じてよく見ると、日本人は、茶碗を手に持って、お箸で御飯を食べているのである。それは実に奇妙な光景だった。
日本人の食事の仕方は、韓国人にとっては、まことに行儀の悪い、嫌悪感すら感じるものだった。韓国人なら誰でもが、茶碗を下においたままスプーンで御飯を食べる。またおつゆもそうして飲む。それが正しい食べ方である。来日当初の私には、茶碗を手に持って食べたり、お椀を手で持って飲んだりは、「恥をしのんで」でなければ、到底できることではなかったのである。
それなのに、欧米人のようにナイフとフォークを使って食事をすることには抵抗感がない。また、インド人が手で御飯をすくいながら食べるのを見ても、外国人だし文化が違うからと、まねをしてみることもできる。それはエキゾチズムを楽しむ喜びともなる。
ところが、韓国人と日本人は、まったく同じ顔をしていながらも、まったく同じ主食の御飯を、一方は茶碗を飯台に置いてスプーンで食べ、もう一方は茶碗を手で持ってお箸で食べる。それぞれが、これが正しい食べ方だと感じている。日本人にとっては、韓国式の食べ方は最も行儀の悪い食べ方であり、韓国人にとっては、日本式の食べ方は同様に最も行儀の悪い食べ方となる。
一方で悪となることが、他方では善となるようなことは、他の国々の間にもあるかもしれない。でも、韓国人と日本人の間では、それを文化の差だと了解して認めあうより先に、まずお互いのふるまいに嫌悪感を感じ、反発しあってしまうことが、なぜか多いように思う。
それでも、目に見える違いならば、「恥をしのんで」相手に合わせることもできる。そのうちに慣れて来て、嫌悪感もなくなってゆく。しかし、目に見えない精神的な違いに感じる嫌悪感は、そう簡単に解消できるものではない。
そのために、日本人の男性とつきあう韓国人の女性で、涙とノイローゼの日々を送る者も多い。逆に、傷つけられて心を痛めている日本人の男性も多い。同じようなことから、ビジネスでも韓日の間に多くのトラブルが起きている。
それらの根にあるのは、とても小さな誤差の感覚である。でもその小さな誤差こそが、韓日の人びとの間に、さまざまな「思い違い・くい違い・いき違い」をもたらす、主人公なのではないだろうか。
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