「日本人は何かといえば韓国人を差別する」を、私は身をもって体験したのだと思った。そして、とくに朝鮮人という言葉に大きな怒りを感じた。また、下町の小さな八百屋すらが「朝鮮人は」と韓国人を差別するのだから、日本人はよほど韓国人が嫌いなのに違いないと思った。
しかも「朝鮮人」とは、私は初めて聞く言葉だった。韓国人にとって朝鮮という言葉には強い拒否感がある。二、三の固有名詞、たとえば「李氏朝鮮」とか『朝鮮日報』「朝鮮ホテル」などを除くと、朝鮮という言葉を使うことは、韓国では事実上禁止されている。
戦後、南は大韓民国とし、北は朝鮮という言葉をそのまま残したので、朝鮮という言葉を使うと北のスパイかもしれないと言われていた。また、小学校のときから、朝鮮という変な言葉を使う人がいれば申告しなさいと教えられてきてもいた。そのため、その朝鮮に「人」をつけた「朝鮮人」という奇妙な言葉に、私はものすごく自尊心を傷つけられてしまったのである。
とくに軍隊体験のある私は反共精神も強く、北朝鮮には大きな反発を感じていた。そこへ、「お前は朝鮮人だから……」という言葉を浴びせられ、なんとも言えない不快な、そして複雑な気持ちを抱えさせられることになってしまったのである。
友だちの斡《あつ》旋《せん》で住まうことになったこの十条での暮らしは、私にとっては初めての外国生活の場だったから、毎日が緊張感の連続のように感じられていた。それだけで倒れそうになっているところへ、さらに追い撃ちをかけるように重たくのしかかってくる、美容室や八百屋での体験。私には十条での生活がしだいに耐えられないほどに嫌なものとなっていった。
結局私は、それから幾日かたって十条を引っ越してしまった。以後、長い間、十条のことは考えたくもなかったし、いつしか忘れてしまっていた。また、いろいろな店に行っても、自ずと店の人にこちらから声をかけることをしなくなってもいった。