これは「すみません」とか「ごめんね」とかいう言葉でも同じである。日本人は夫婦の間でも、この「ありがとう」「すみません」「ごめんね」を連発する。
日本人と結婚したある韓国の女性が、鬱《うつ》病《びよう》のような状態に陥ってしまって、私のところにやって来た。話を聞いてみると、結婚して一年が過ぎたのだが、夫はあまりにも他人のようにしか接してくれないので、とても寂しいと言うのだ。ここが韓国ならば親兄弟に相談することもできるが、日本では相談する相手もなく、もう一日でも早く韓国へ帰りたいと泣き出すしまつ。
よく話を聞いてみると、ご主人は典型的な日本の男性である。会社から帰って来て上着を取ってあげると「ありがとう」、お茶を入れてあげると「ありがとう」、そして何か失敗するとすぐに「あ、ごめんね」と言う。それが彼女には我慢ならないのだ。彼女は次のようにその不満を私にぶちまけるのである。
「夫婦は一心同体でしょ? 妻が当然するべきことをしているのに、なにが『ありがとう』なんですか、いったい。私に愛情を感じていないとしか思えないわ。そんなこんなで、とても寂しい思いを毎日しているんです。それに、日本では夫婦は別々の布団で寝るのが当たり前なんですか? 私は夜しか一緒にいられないからこそ一緒に寝たいのに、夫は別の布団で寝ようとするんですよ。だから、嫌われているのかと思って『あなたは私が好きじゃないの』と聞いたんですが、『好きだよ』とニッコリしながら別の布団にもぐりこむんです。どうにも本当の心がわからないんですよ。韓国へ帰ってしまいたくてね……」
その当時、私はまだ日本に慣れていなかったので、この話を日本人の友だちにしたときに、「笑い話にならない笑い話だ」と言われたことがまったく理解できなかった。
私は彼女の話を聞いて、「なんてひどい男だ」としか思わず、彼女をなぐさめることも忘れて、一緒に日本の男の悪口を言っていた。
韓国では「女の幸せは男の胸の幅ぐらいだ」という言い方をよくする。それは、どんなに嫌なことがあっても、一晩男の胸に抱かれていれば溶けてしまうということを意味している。夫婦は身も心もひとつになることができる、だからこそ夫婦だという韓国人の考え方——その点に関しては、いまだに私も「そうだ」とうなずいている。お互いを尊重しあう気持ちは十分に理解できるものの、日本的な夫婦の接し方には、どうにも感覚的な抵抗感を覚えてしまう。
このように、夫婦の間では「ありがとう」も「ごめんね」もないことが互いの愛情の確信につながってもいる。心が通じているなら「ありがとう」も「ごめんね」も必要がないはずなのに、なぜ日本の男は妻に対してそれを連発するのか、またそれでは結婚する必要も意味もないではないか。こうして、彼女だけではなく、韓国の女の多くが、日本の男の愛をどこか信じられないものと感じてしまうことにもなっている。