逆に、この「ありがとう」「ごめんね」を日本人の側から見た場合には、韓国人はお礼を言わない、謝ることをしない、という言い方ともなってしまう。「親しき仲にも礼儀あり」をよしとするのが日本だが、韓国では「親しき仲には礼儀なし」をよしとするからである。私のところに相談に来た彼女の話を続けよう。
「夫が私にバッグを買ってきてくれたのよ。私はとっても嬉《うれ》しくて、『嬉しい、嬉しい』ってはしゃいでいたの。そうしたら彼は『ありがとうくらい言えよ』と怒った顔をして言うのよ。おかしいでしょ? 夫が買ってきたものにありがとうなんて、まったく他人行儀じゃない。夫婦なのにね」
また、私自身の体験だが、友だちと電話で話していて、なぜか相手の機《き》嫌《げん》が悪くなり、まだ話が終わってもいないのに、電話を切られてしまったことがある。私はなぜなのかわからなくて茫《ぼう》然《ぜん》としていた。
後になってその友だちに聞いてみると、「なぜ、あなたは、あのとき、頑《がん》として私に謝ろうとしなかったのよ」と言う。そう、私は本来はひとこと相手に断わってやるべきことを、私の一《いち》存《ぞん》でやってしまって、相手に迷惑をかけてしまったのだった。友だちとの電話で、私はいけないことをしてしまったことにすぐ気がついていた。しかし、私は相手が私に文句を言っている間、ただだまっているだけで、「ごめんね」を言わなかったのである。そのため、友だちの心を大きく傷つけてしまった。
私が「ごめんね」を言わなかったのは、相手が仲のよい友だちだからだということばかりではなかった。韓国人は一般的に、自分が悪いことをして怒られているときには、無言でじっと相手の言うことを聞いていることが、「すまない」という心を表わす姿勢としてよいものと感じている。お説教を聞きながら、「はい、すみません」などとは言わないものである。日本人にとっては、それが、「まるで反省の色がない」と感じられるのである。
このへんのいき違いからも、「いわれなき韓国人差別」への発展(?)があるのではないだろうか。