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スカートの風103

时间: 2020-07-28    进入日语论坛
核心提示:お願い語が韓国人をとまどわせる日本人の謙《けん》虚《きよ》さ、韓国人的に言えば遠慮深げな態度を、たいていの韓国の女たちは
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お願い語が韓国人をとまどわせる

日本人の謙《けん》虚《きよ》さ、韓国人的に言えば遠慮深げな態度を、たいていの韓国の女たちは次のような印象で受けとめている。
「日本人はなぜ、びくびくしているような言い方をすることが多いの? また申し訳ないことがとっても多いのね。だからかしら、何か力が抜けていて無能力みたいに見えちゃうのね」
こんな話がはずんでゆくと、よく次のような通俗的な日本理解につながってゆく。
「こんなに弱々しく見える人ばっかりの国が、どうしてこれほど発展したのかしらね」
「運がよかったからよね。そうでしょ、朝鮮戦争があって、それがきっかけでお金持ちの国になったのよ。韓国がなかったら今の日本の発展もないんだから」
これはとくにホステスとかあるいは高等教育を受けていない者たちの間での話ではない。韓国では当然のごとく話されているもので、彼女たちは日本人の弱々しさを知って、やっぱり、と納得してしまう、というわけなのだ。
とにかく日本語には「お願い語」が多い。それが韓国人には、常にびくびくして他人の顔色をうかがう、弱々しい性格に見えるのだ。たとえば、他人の家に行って電話を使いたいとき、日本人は「電話を使わせていただいてよろしいですか」と言う。韓国人ならば、「電話を使いますよ」が普通だ。せいぜい「電話を使っていいですか」であり、受け身形を使い、相手に許しを乞うような言い方は決してしない。
韓国に本拠を持つキリスト教の教会が新宿にあって、私もそこに通っている。その教会には韓国人の信者も日本人の信者もいるのだが、一人の信者がみんなを代表しての代表祈《き》祷《とう》がある。そんなとき、日本人ならば「お祈りさせていただきます」と言うことが多い。それが韓国人の場合では「お祈りします」か「お祈りを差し上げます」と言う。私は最初、こうした日本人の言い方に強い違和感を感じた。
「お祈りさせていただきます」と言えば、会《かい》衆《しゆう》を意識しての言葉だが、「お祈りします」とか「お祈りを差し上げます」ならば、会衆は関係なく、自分が神さまに対して直接祈るという関係を示している。「お祈りさせていただきます」となると、自分は会衆の方々より下の力しかない、私のような能力のない者がお祈りすることをどうか許して下さいとなるわけだ。日本語の意味の理解だけ達《たつ》者《しや》となり、その奥の真意にまで理解が届いていなかった当時の私は、そんな力のない人に、お祈りを代表してやってもらいたくないと思ってしまったのである。
私に悩みがあって、牧師に相談しようと思ったときのことである。私は珍しさも手伝って日本人の牧師のところへ行った。そのとき、日本人の牧師は、「お祈りすることが一番です」と言いながら、「私にもお祈りさせて下さい」と言うのである。これには私も驚かされた。牧師が私より低い位置に立とうとしているからである。韓国人の牧師ならば、必ず「お祈りして差し上げます」と言うものである。
このとき、私は次のような感じ方をしていた。
「〜させて下さい」というのは頼みであるだろう。したがって、「お祈りさせて下さい」という頼みに対して、私の方でイエスかノーか答えることが必要となる。そこで、私はその牧師の申し出を受けたことを表わすために、「どうかお願いします」と答えなくてはならなくなる。私は自分の心が弱くなっているからこそ相談に行ったのであって、牧師の頼みを受けるために行ったのではない。なぜ私の気持ちを察して、それにすぐ対応してくれないのか。さらには、弱い私よりさらに弱い姿勢でお祈りなんかしてはもらいたくない——。一方、「お祈りして差し上げます」と言われれば、すぐに私の弱くなっている心を察してくれたという印象を持てるし、また力強く堂々として見えるので、信頼が持てる——。
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