さきほどの、美容室や八百屋さんでの話のように、韓国人は食堂で食べ物を注文するときなどには、「おいしくして下さいね」とよく言う。日本人の友だちにどう思うか聞いてみると、「それは失礼だ」という。食堂でおいしくしてくれるのは当たり前のことで、そんな言い方をするのは食堂を疑っていることになってしまうというのだ。韓国ではそれが情のこもった挨《あい》拶《さつ》であり、食堂の側も自分を認めてくれているお客さんに感謝の気持ちを持つことになる。
韓国では、食堂で働いているような人なら無視して当然だし、また働く側も無視されて当然だという通念がある。つまり対等に関係することを要せず、上下の関係としてあることが自然なのだ。「おいしくして下さいね」というのは、そうした上下の関係でありながらも、「あなたのことを気にしていますよ」という情をこめての挨拶なのである。が、それ以上親しくすることは、かえってよくないことになる。
ある日本のビジネスマンが韓国に行って、取引先の韓国人の社長と一日をともにしたときのこと。そのビジネスマンは韓国人の社長から、「なぜあなたは下の者に対してそんなに丁《てい》寧《ねい》な態度をとるんですか、そんな必要はありませんよ」と言われたという。
レストランに行けば店員に対して、社長の会社に行けば社員に対して、日本人ビジネスマンはきわめて丁寧な言葉で礼儀正しい対応をしたのだった。それに対して韓国人の社長は、下の者に気をつかったりすると必ず甘えてきて、いい気になり、けじめがつかなくなる、下の者にはそんなに弱々しい態度は見せるものではなく、毅《き》然《ぜん》とした態度で接しなくてはならないということを、しきりに説明したのである。
上の者が下の者を対等に扱わないことも事実だが、下の者にも上の者と対等に扱われたくないという意識がある。対等な雰《ふん》囲《い》気《き》がつくられると、上下関係がなくなり、きちんと仕事をする気分にならなくなってしまうからだ。
たとえば、自家用車の運転手ならば、家には上げずに必ず門の前で待たせておくものである。ところが、韓国に駐在したことのある日本人ビジネスマンは、運転手を家に入れて食事まで一緒に食べさせた。以後、その運転手は言うことをきかなくなってしまったとこぼすのである。対等ならばこちらの気分で仕事をしても当然だとなるからなのだ。
これは何も韓国人に限ったことではなく、階級社会の残影を強く引きずった社会では、きわめて一般的なことである。南米などで日本人ビジネスマンが、しばしばこうした問題で手こずるということをよく聞く。ただ韓国の場合は、これほどに経済成長をなし遂げた社会であるにもかかわらず、というところに特有の問題を見なくてはならないと思う。