日本のお年寄りの多くが、「日本は西洋化されてしまって、もはや日本はどこにもない」ということをよく言われる。しかし、私にはそうは見えない。東京といえば世界都市といわれ、どれほど西洋化された都市なのだろうと思っていたのだが、少し住んでみて、東京が京都とはまた違った形で日本の古典的な香りをいきづかせていることを、肌身で感じることが出来た。
ソウルのファッション界は、パリのファッションをそのまま受け入れて、一瞬パリとも錯覚するほどの激しい変化を見せている。そこに、かつての韓国の面影は微《み》塵《じん》も感じられない。韓国のファッションと韓国の伝統文化とは何らの関わりも持っていないのである。
それに比べて、東京のファッション界の変化はきわめて落ち着いたものだ。戦後日本のファッションは、わずかな変化を見せながら流れ、なおかつ淀むことがなかった。それは、底の方に横たわる古き日本という源泉を常に汲《く》み上げ続けて来たからだと思える。
うまくは言えないが、日本のファッションは、パリの影響を大きく被《こうむ》りながらも明らかに日本的なのである。そこにも、日本文化が単層ではなく、重層的な仕組みを持っていることが見てとれるのではないだろうか。
私が日本で生活して九年になるが、その間、日本のファッションは変化したように見えながら、大きな動きはないように見える。反面、いまのソウルは、私がソウルを離れた九年前とはおよそ異なっている。パリそのままの色や形を浮かべていると言ってよい。ヘアースタイルを見ても、ショートカット、ショートパーマなど、そのときどきのヨーロッパの流行に合わせながら、刻々と変化していっているのに対して、日本ではこの十年、ずっとロングヘアーのままなのだ。そのなかでストレートかパーマかの変化を見せているに過ぎない。
外部を無条件に受け入れてしだいに底を失ってゆく韓国と、外部を受け入れながらも常に底から浮遊してくるものと混合させてゆく日本——。韓日ファッションの移り行きを見るにつけ、そんな対比が出来るような気がして仕方がない。
それに、韓国人は物質面ではまるで節《せつ》操《そう》なく見えるほど、外から入ってくるものを受け入れているのに反して、精神的な面ではかたくなに外部を受け入れようとはしない。物質面での柔軟さと精神面での頑固さ、この背反は何なのだろうか?
日本では親子間での世代差が激しいと言われるが、現在の韓国では兄弟の間ですら世代差が激しくなっている。「鎖国」が解けた途端にすさまじい変《へん》貌《ぼう》ぶりを見せる韓国。それを、明治維新直後の日本に似ていると言う人もいる。そうであるならば、韓国でもやがてすさまじい国風文化復興の波がやって来るのだろうか。
そうはならないと思う。韓国には、流れて来る有形な文化を、流れのままに無条件で受け入れ、次から次へと流し去ってしまう、何か得体のしれない文化の仕組みがあるような気がしてならない。