神道は受け身の宗教だといったが、それは、協議する日本の神々のように、他人の意見を聞き、意見の調整をしないと気が済まないという日本人の性格そのものでもある。そのことが、日本語にはとてもよく現われている。
日本語の文字には漢字、カタカナ、ひらがながあって、どんな外国語の受け入れにも対応できるようになっている。受け入れを身《しん》上《じよう》とする日本文化ならではのものと言えるだろう。
漢字で中国大陸から入った文化用語や形式的な言葉に対応させる。またカタカナで主に欧米からの外来語に対応させる。そして、ひらがなによって固有語をそのまま残すことができる。
たとえば、「感謝します」で形式的な姿勢を表わし、「ありがとう」を使って情のこもった日本的な雰囲気を表わし、「サンキュー」をつかって軽い挨《あい》拶《さつ》に代えている。このように、外来語を無理なく受け入れられる器があるということも、日本特有のものだと言うしかない。