韓国人どうしでは、「韓国人というのはすぐこれだからしようがない」とか、「どうも韓国人はこういうところがなってない」など、自ら韓国人の批判をすることはよくあることだ。それについては、日本人とそれほど変わりはない。
ただ、韓国人の場合は、その場に外国人が入ってくるや否や、自国の悪口についてはピタッと話をやめてしまう。それは、誰かが目配せしたりとか、申し合わせていたりとかいうのではなく、ごく自然に、実に見事にそうなってしまうのである。外国人が入った話の場では、「韓国人」がそのまま「自分」になってしまうのだ。
ある日、私の事務所で、日本に長く滞在している韓国の女たち——ホステス、奥さん、教会関係者などが集まっての雑談のなか、話題はいつしか現代韓国の男性批判に集中していった。
「韓国の男たちはなんであんなにワイルドなの」
「まるで未開人みたいな人ばかりじゃない」
「それに、お金のことしか頭にないのよね」
そこへ日本人の女性が入って来た。彼女は韓国語がわからないので、「ねえ、どんなこと話してたの?」と、身を乗り出して来る。私は日本語で話題を続けようと、「韓国の男の……」と言った途端に、韓国の女たちにすぐ言葉を切られてしまった。そして韓国語で、「そんな話は私たちの間で話すことで、日本人にしてはいけないでしょ」と非難するのである。
また、日本で働く韓国の女たちの事情について、私が日本のテレビでインタビューを受けたときのこと。赤坂の韓国料理の店で録画撮りが行なわれたのだが、店の女主人は私の発言が耳に入りはじめるや、カメラの後ろに陣取り、終始私の方を睨《にら》むようにしてみつめ続けていた。そして録画撮りが終わると、すぐに私のところへやって来て、韓国語でまくしたてるようにしてこう言うのである。
「私はあんたのお母さんのような年だから言うけどさ、あんたね、あんな内輪の恥ずかしい問題を日本人に話しちゃ失礼でしょ。言いたいことがあれば私に話しなさいな」
もちろん、失礼だと言う以上に、韓国人の弱点(と感じていること)を話されるのが嫌なのである。