私が日本へ旅立ったのは二十代の半ば。思春期の感受性の強さはまだまだ健在で、世間知らずゆえの怖いもの知らずで社会を走り抜けていた。その勢いのままに、打てば響くだろう、また打たれれば響こうと、アンテナを高くしての渡日だった。
青春の挫《ざ》折《せつ》というけれども、私はそのやや遅い、しかし、とても大きな挫折を日本で体験することになった。それまでは、情緒的な感じ方や表わし方が、これほど自分と他人とで違うものだとは、思ってもみなかったのである。
しかもそれは、個人的なことであると同時に、韓国人と日本人の、きわめて激しい情緒的な衝突の体験でもあった。
結局、私の青春の挫折は日本人との感情的な交流でのつまずきにあったが、そのことによって私は、韓日の関係では、感情をめぐる問題、とくに習慣のなかで身についている情緒の問題が大きな位置を占めていると思うようになった。
この章の前半では、韓国人の情緒や感性のあり方をご紹介し、後半では、韓国人の反日感情のたて前的なものではない実際的な面を見ながら、決して居心地がよいとは言えない、現在の日本と韓国の関係について考えていきたい。