韓国のクリスチャンは人口の四分の一、一千万人を越えているが、カソリックにもプロテスタントにも属さない、いわゆる異端キリスト教派も多く、それらを含むと人口の四〇パーセントに達するという見方もある。仏教すらそんなに韓国人の気持ちをつかむことができなかったのに、なぜキリスト教がそれほど韓国に普及したのか? そういう疑問を持たれる方が多いと思う。
韓国にキリスト教が普及したのは、みじめな状態を喜び、恨《ハン》を楽しむ韓国人の感性にうまく適合したからである。現在の教会は、みじめな自分を嘆くには格好の場となっている。どうやって適合したのかをお話ししてみよう。
唯一神を奉じるキリスト教は、ほんらいは儒教的な社会にとっては敵であるはずだ。三十数年前の韓国のキリスト教はまさしく、韓国儒教社会の敵として登場し、敬《けい》虔《けん》で荘《そう》厳《ごん》かつスマートな、アメリカ的な教会の雰《ふん》囲《い》気《き》のなかで行なわれていた。しかし、一部の知識層に普及し、最下層の人びとの心の慰めとなることはあっても、大衆的なものとなることはなかった。
韓国人に合ったキリスト教をつくろうという動きが出てきたのは、朝鮮戦争が終わった後、深い虚脱感が韓国全土に広がっていたときのことだった。あるプロテスタントの一派が、それまでのアメリカ的な教会のやり方のすべてに手を加え、韓国人に受け入れやすい雰囲気を積極的につくりはじめたのである。それが成功したため他の派もこぞって改革を進め、以後、韓国のキリスト教は大きく変《へん》貌《ぼう》していったのである。
なかでも、最も効果が大きかったのは賛美歌の改革である。
それまでの音程の高いソプラノの賛美歌を、韓国人に親しみやすいタリョンの曲調にアレンジし、低い声で歌えるように改革していった。これによって、西洋音楽になじみのない田舎のおばあさんでも、すぐに賛美歌を歌うことができるようになった。しかも、賛美歌を歌うことでそのまま恨を楽しむことができるばかりでなく、恨を解消することすらできるようになったのである。この賛美歌改革の効果には、驚くべきものがあった。
それまでは、教会のオルガンの調べにひきずられながら、なんとかついてゆくのがやっとだった賛美歌。それが、恨を楽しむタリョンそのままに、台所でも仕事場でも口ずさむことができるものとなった。そのため、街のあちこちに起こる賛美歌の声にひかれ、教会を訪れる人が急激に増えることになっていったのである。