韓国の多くの教会の会堂の中は、とても静かで敬《けい》虔《けん》であるとは言えない。みんながみんな、両手を高く天に向けて差し出し、身体をゆすりながら、まるで子どもがだだをこねるように、「ああ〜、神さま〜」と、大きな声を出してお祈りをする。そのため、会堂全体が騒然とした雰囲気に包まれている。
牧師には、「声が小さい人は祝福も小さくなる、激しく祈ることによって精《せい》霊《れい》に満たされる、静かにやると精霊に満たされない」と言われるものだから、いきおい、声の大きさを競うことにもなる。だから、教会に頻《ひん》繁《ぱん》に通うと誰も声がハスキーになってしまう。
あるテレビ局の取材マンが、教会に一歩足を踏み入れるや、
「これが教会? 韓国人って情緒過多なんじゃないですか」
と、すっかりあきれ返ったような顔をして、同行した私に肩をすくめて見せたことがある。
確かに韓国人の情緒は、日本人のそれと比べればかなり激しいと言えるだろう。その点について、ある知り合いの日本人ジャーナリストは、「韓国は青少年文化だ」が持論だと言う。なるほど、とも思う。