韓国の学生運動の激しさも、韓国的な情緒のあり方と無関係ではない。かつての日本の学生運動も激しかったという。それと同じことと見る人が多いけれども、最近もあったように、反政府デモで焼身自殺する者が少なくないといったことになると、単なる過激では説明のつかないものを含んでいると考えなくてはならない。
韓国には新羅《しらぎ》の時代、花《フア》郎《ラン》精神というものがあった。新羅では、上級貴族の子弟で十五、六歳の男子を指導者として花郎と称し、その下に数百人から千人ほどの青少年たちが結集して花《フア》郎《ラン》徒《ドウ》と呼ばれる集団をつくっていた。彼らは義を学び、学問・芸術・武芸を磨いて自らの肉体と精神を鍛え、戦時には戦士集団として活躍した。
花郎は、戦場では常に先頭に立って闘い、決して後退することがなかった。戦争を恐れることなく、義のためにはすすんで自らの命を差し出すことをよしとし、友のために命を捧げることも清く美しい行為とされ、花郎精神の一つであった。日本の武士道とよく似たものと言えるかもしれない。
花郎精神は新羅固有のものだったが、後に儒教、仏教、道教と結びついて、独自の発展を続けてきた。現在の韓国の軍人教育でもこの花郎精神が強調されている。名門校ほど激しいと言える韓国の学生運動の意識の底には、間違いなくこの花郎精神の伝統が流れていると思う。
日本で大学生と言えばほとんど子ども扱いだが、文人主義の国、韓国では、最近は少々評価を落としてはいるものの、社会の期待を一身に背負った、誇るべきエリート集団として尊重されて来た。したがって、彼らのなかに花郎精神が宿るのは自然なことだとも言えた。