死に関連してお話ししてみたいのだが、先日、私が少し関係しているグループの日本人男性が若くして亡くなった。享《きよう》年《ねん》三十四歳、急死だった。彼は韓国についての研究に夢を持っていて、仕事以外の時間のほとんどを勉強にあて、精力的に取り組んでいるようだった。最も心を傷《いた》めたのはご両親だっただろうが、グループの仲間たちのショックは大きく深かった。
私は葬式の日に空けられない仕事がぶつかっていたため、日本の慣例に従ってお通夜に出席することにした。
私は日本の葬儀に出るのは初めてだったが、映画やテレビ、また人の話で、なんとなく知ってはいた。そんな知識の限りでは、日本の葬儀の雰囲気が韓国とはあまりにも異なっているため、ほんとうにそうなのだろうかと、とても不安だった。
いずれにしても、息子を突然亡くした親の心は想像を絶する悲しみに満たされているはずである。そのことがヒシヒシと感じられ、弔《ちよう》問《もん》へと向かう足はことのほか重かった。
お通夜の席での数時間。それは、どこか遠い場違いな所へ迷い込んでしまったような、あるいは神経の根本と先が入れ代わってしまったような、不思議な体験だった。
やはり、テレビなどで見た日本の葬儀の光景はウソでも誇張でもなかった。
ご両親は顔にほほ笑みを浮かべながら、客たちにいろいろと語りかけている。客の方はきまって口数が少なく、その顔はこの上もなく悲しげである。お母さまが私に、にこやかに「息子はよくあなたのことを話していましたのよ、それは親しげにね」とやさしく声をかけて下さる。涙が出るのは私の方だった。
韓国では、両親はその悲しみを表に表わすことによって、同じように悲しんでくれる周りの人たちと一体化する。そこで、悲しんでいるのは自分だけではないと、心が慰められる。しかも、悲しみは激情である。その、勢いよく溢《あふ》れ出し湧《わ》き起こってくる悲しみは、たとえ我慢しようとしても我慢できはしない。そして、張り裂けんばかりの慟《どう》哭《こく》と涙を抑えることなど、誰にもできはしない。韓国ではそうなのだ。
ご両親は、生前のわが息子との楽しかった思い出をポツポツと客たちに語りながら、日本的に表現すれば、終始そのたたずまいを乱すことがなかった。そして、最後のお別れにと、棺桶に空けられた小さな窓を開いて、あの永遠の眠りについた安らかな顔を客たちに見せるとき、ご両親のほほにわずかにつたった涙が印象的だった。