さて、韓国人の情緒や感情についていろいろとお話ししてきたが、このへんで、韓国人の反日感情について少々考えてみたい。この章の最初に述べた、具体的な対象を獲得した恨のなかで、最大の恨はなんと言っても日本に対する恨だと思う。まずそのへんから——。
韓日関係が問題となるとき、どちらかと言えば韓国側に立とうとする日本の識者たちは、よく次のような主《しゆ》旨《し》の発言をしている。
「韓国人は戦前に日本がやったことをいまだに許してはいない。そうした日本人に対するうらみがひとつの国民感情のようになってもいる。確かに、日本は韓国人に対してひどいことをやったのだから、うらまれても非難されても当然のことである。私たち日本人はそうした韓国人の気持ちを素直に受けとめ、深く反省し心から謝罪する必要がある」
韓国人は、何かと言えば「日帝三十六年の支配」を持ち出しては日本人を攻撃する。多くの韓国人に接すれば、いきおい、そうした態度を頻《ひん》繁《ぱん》に見せつけられることになるから、そのような感想が出てくること自体はわからないではない。また、日本に来て間もなかった時分の私は、そうした日本人の発言を聞けば、とても気分よくうなずいたものだった。しかし、よくよく考えてみれば、これはきわめておかしな発言なのである。
私がこうした発言に感じるおかしさは二つある。第一に、これが現在の発言であるところでは、そこに、自立した近代国家の国民の間での対等な関係を前提にした態度が欠けていると思わざるを得ないこと。第二には、こうした発言が、どれほど韓国人の反日感情の質を知った上でのことなのかに、大いに疑問を抱く、ということである。
前者については、戦後間もないころならいざ知らず、戦後四十数年の間、韓日条約調印後二十数年になる現在に至るまで、延々とこうした発言が行なわれてきたことを考えなくてはならないと思う。この点については、日本でいろいろと論議されることも多いので、後に少し触れるとして、私が多くを語ることもないと思う。
そこで、ここでは後者の、多くの日本人があまり気がついていないだろうと思える、「韓国人の反日感情の質」について述べてみたい。