私がまだ幼かったころ、戦前に日本に行ったことがあるという母は、私によく日本の話をしてくれた。それは、日本の温泉に行ったときの楽しい思い出や、きれいな景色に心を浮き立たせたり、珍しい食べ物に好奇心をかきたてたりといったことであり、日本人についての話はあまりなかったのだが、憎むべき人たちの住む国を思わせるような話はまったくなかった。私は母の話にすっかり魅了され、大きくなったら日本に行きたいと願い、日本といういまだ見ぬ国に大きく憧《あこが》れていた。
しかし、小学校に上がって、日本がいかに韓国に対して悪いことをしたかを、徹底して教えられ、反日ポスターを描かせられたりしているうちに、私はそのように日本を感じていたことが恥ずかしくなり、すぐにみんなと同じ一人前の反日生徒へと変わっていったのだった。
母からは日本語の単語をいくつか教えてもらったりもしたが、日本の軍隊にいたこともあるという父の口からは、日本語はもちろんのこと、日本についての話を聞いたことはまったくなかった。私が聞くとムスッとした顔を見せるので、ああ、父は日本が嫌いなんだなと思っていた。
ところが、私が何年か前に帰郷したおり、知り合いの日本人を伴っていたところ、父はいきなり、その日本人に日本語で親しげに話しかけるのである。初めて聞く父の日本語だった。そのときの父のなつかしげな表情は、いまでも忘れることができない。このとき私は、父がほんとうは日本人に憎しみなど何ら持っていなかったのだと信じられた。
植民地時代の方が、ずっと日本人に対する見方が公平だったように思う。日帝時代の韓半島の小説、たとえば、「韓国近代文学の父」と現在の韓国でも評価の高い、李《イ・》光《クアン》洙《ズ》の作品からも、そうした雰《ふん》囲《い》気《き》が如《によ》実《じつ》に伝わってくる。とくに一九三〇年代前半までの韓国を描いたものに多い。
それらの小説では、日本が韓半島を植民地化しているということとは別に、日本が先進国であり、またすぐれた文化・芸術を持つ国であり、多くの学ぶべきものを持った国であることが、いきいきと描かれている。
それは、日本によって初めて近代に触れた、多くの韓半島知識人たちの当時の心持ちを代表するものであったに違いないと思える。