現在では、「日本人から学ぶものは経済や技術以外には何もない」ということを口にする韓国人が多い。経済や技術の面では日本にコンプレックスを感じながらも、文化的な面では日本人には何ら教えてもらうことはないと、自信まんまんなのである。そこでは常に自分たちが文化的に上だと思っている。たとえば、高等学校の国史の教科書にこんな主旨の記述がある。
「豊臣秀吉の侵略軍を韓国が打ち破ったのは、人的にも資材(兵器など)の上からも、韓国人がいかに日本人より頭脳的にすぐれていたかを物語っている。また、侵略によって韓国からたくさんの文物や人材を略奪していったことによって、東南アジアの後進国であった日本は、大きな発展をとげることができたのである」
とにかく、教科書のあちこちで、野蛮人日本対文化人韓国という比較が語られている。
そこで、日本に文化と言えるものはない、すべて中国と韓国から入ったものを単に整理したのに過ぎない、文化を渡して上げた韓国に感謝すべきではないか——すぐにそういう言葉が口をついて出てくる。つい最近も、そのままの決まり文句を言う韓国の大学教授と日本の作家とのぶつかり合いが、日本の雑誌で大きく取り上げられていた。
日本が経済発展をとげたのは朝鮮戦争のおかげであり、陶磁器の発展も豊臣秀吉の「朝鮮侵略」で多くの陶工を略奪していった結果であり、日本は韓国のよい文化をすべて取り上げていったとは、自らの歴史を省《かえり》みようとはしない韓国人の、決まり文句のひとつである。これが、戦後の反日教育の結果、パターン化されていった言い方であることははっきりしている。
現在の多くの韓国人には、経済発展が遅れた自らの側の原因、陶磁器の伝統を引き継いで発展させることができなかった自らの側の原因を探ろうといった姿勢は、まったくと言ってよいほど見ることができない。そこでは、現代韓国人にとっての日本は、憎むべき相手というよりは、自分の責任を棚上げにしておいて、責任を他に転《てん》嫁《か》するさいの格好の対象となってしまっている。