先に、現代韓国人の反日感情は、反日政策のたまものと言ったが、それが国民の隅々にまで浸透したところには、もちろん、韓国人側にそうした政策を受け入れる素《そ》地《じ》があったからである。
韓国人が日本人に過去のことを言うと、若い人などではとくに、「過去は過去、いまはいま」と、論点そのものを問題としないことが多い。そこには、何が正しいかという以前に、日本人と韓国人の歴史に対する考え方の違いがあるように思う。韓国人にとっての歴史は昨日からの連続であり、日本人にとっての歴史はいまつくられているといったもの。両国民の間の歴史観には、どうもその中間が稀《き》薄《はく》なように感じられる。
韓国では「先祖の代を息子に結ぶ」と言う。日本ではそれを「譲る」と表現する。韓国的な表現では、過去が先祖の血によって、今日までストレートに結びつけられているのに対して、日本的な表現では過去と今日は断続するつながりとなっている。
それに関連して、以下に、私の知る韓国人の女子留学生と日本人女子学生のケンカ話をご紹介しておきたい。なお、こうした類《たぐい》のケンカは、小さいものから大きなものまで、日常茶飯事のごとく、私の耳に入ってきている。そういうものの、ひとつの典型とお考えいただきたい。
彼女たちは一緒のアパートの一階と二階に住んでいる、とても仲のよい友だちである。自然にお互いの国についての話をよくすることになるのだが、そうなると決まって話題は歴史問題へと移ってゆく。そして、「日本人が悪い、あなたも同じ日本人だから責任がある」ということが、しきりに韓国人の留学生から主張される。日本人の学生はそれにずっと我慢してきたのだが、あまりにたびたびのことなので、ある日ついに怒りが爆発して大ゲンカとなってしまった。
日本人の学生は、「それは先祖たちが悪いことであって、私に何の責任があるのか」と言う。それに対して韓国人留学生は、「先祖たちの過《あやま》ちの責任は子孫には関係がないと言うのは許せない」とますます怒りをつのらせてしまった。
この攻撃を受けた日本人の学生は、「話のわかる唯一の韓国人」だということで私の所にやって来た。そして、「先祖たちが韓国人にどのようなことをしたのかすらよく知らない私に、なんの責任があるのか」と憤《ふん》懣《まん》をぶちまけるのである。