私は若い人からこうした言い方をよく聞かされるのだが、実はこの「よく知らない」ことが、ケンカをより大きなものにしている。
教科書の比較で言えば、韓国の教科書が日本との歴史について多くのページをさいているのに対して、日本の教科書が韓国との歴史に対してさくページ数はごくわずかなものである。それは、韓国の歴史が日本との関係なしでは語れない部分が多いからであり、日本の歴史を学ぶ場合には、韓国との関係をそれほど多く学ぶ必要がないからでもある。
韓国の国史、とくに近世史・近代史の教科書の内容は、その多くが日本との関係で埋められている。豊臣秀吉の「朝鮮侵略」から日帝三十六年間の植民地統治に至るまで、日本がいかに韓国に対して悪いことをしたかということが、克《こく》明《めい》に記されている。また、三国時代には、韓国がいかに日本に対してさまざまなことを教えて上げたかということが、詳しく展開されている。
まるで「よき日本」に触れられることがないため、学校教育から受ける日本のイメージはとても悪いものとなっているのだが、一方では、日本史のアウトラインがけっこうつかめるようになってもいる。それに対して、日本の学校教育からは、韓国の歴史のアウトラインをつかむことはまず出来ない。そこで、先に述べたようなケンカがエスカレートすることにもなってしまうのだ。
日本には多くの韓国史・韓国文化の研究者がいるが、韓国にまともな日本史・日本文化の研究者はごくわずかしかいない。しかし、韓国人は学校で、日本については浅いながら広く教えられるので、日本のことをよく知っていると錯覚している。日本では、韓国研究者の層はあついものの、学校で教える韓国に関する知識はきわめて狭く浅い。そのため、一般の日本人の韓国に対する知識はとても低いものとなっている。
こうした所から、一般的には、韓国人が日本の歴史を知っているようには、日本人は韓国の歴史を知らないということが起きてくる。そこで、「日本が悪い」と言って、具体的な指摘を行なう韓国人に対して、歴史的な事実をよく知らないため、具体的に応ずることが多くの日本人にはうまくはできていない。
当然に知っていなくてはならないことを知らない日本人は、やはり過去の反省などしていないに違いないと感じてしまうのである。これはかなり決定的なことである。