私の知り合いの日本人のなかに、わずかだけれども、「日帝三十六年の支配」について、頑《がん》として個人的な謝罪をしようとはせず、しかも多くの韓国人たちと親密な関係を保っている人たちがいる。彼らは「日帝三十六年の支配」を持ち出されても、そんなことを言うなら話はしないと突っぱねるのではなく、逃げるのでもなく、ともかく話してゆくなかで、とくに親しい関係を生み出しているのである。
彼らは日本についてはもちろんのこと、通常の韓国人以上に韓国の歴史上の知識に通じている。そこで彼らは、韓国人が「日本が悪い」と言って攻撃をして来ても、具体的に関連する韓国と日本の歴史について指摘しながら、問題を見事に客観化してしまうのである。
私は彼らのなかの一人のビジネスマンと親しかったこともあって、その彼と仲のよい韓国人に「あなたはあの日本の友人にどんな印象を持っていますか?」と聞いてみたことがある。その韓国人は「わが友」と自慢する彼について、こんなふうに話してくれた。
「あの人は韓国のことをとてもよく知ってくれている人で、われわれの側の人ですよ。私はあの人に畏《い》敬《けい》の念を覚えてもいます」
そして、その日本人いわく。
「僕が韓国で仕事をすることになったとき、毎日がケンカでしたね。もっとも議論をしたわけだけど、それはまるでケンカですよ。会ってみて、相手がおかしなことを言い出したら、よし、議論しようとやっちゃう。相手はまず乗って来ます。そうして議論するんですが、僕の体験ではみんながみんな、実は日韓を巡る歴史については、それほどよく知ってはいないんですね。議論しているうちに、すぐそういうことがわかってきます。ですから、突っ込んでいくと、どうしても相手は詰まってしまう。それから、しだいに信用されてゆくんです。つまり、われわれの国のことをこれほどよく知っている人だから、というわけです」
彼の話は私にはとてもよく理解できる。文人(知識人)を尊ぶ伝統、相手が自分より上だと感じたときに(この場合は知識)下につくことをよしとする倫理、身内のことを気にしてくれることに喜びを感じる心情、不《ふ》退《たい》転《てん》の力強い態度に信頼感を持つ性格、ケンカするほど心をぶつけ合ったという生々しい手応えに感じ入る情緒……。つまり、彼はとても韓国人的に韓国人に接したことによって、韓国人に受け入れられたのである。