彼が歴史や文化の知識に深い造《ぞう》詣《けい》を持っているには違いないが、実際には、日本語の韓国史の概説書を一冊読んでおけば、たいていの韓国人と話すには十分だと言う。残念ながら、その通りだと言うしかない。なにしろ、韓国の大学を卒業したとは言っても、私自身、日本人の書いた韓国史や韓国の文化についての本から、まったく知らなかった歴史的事実をたくさん学んでいるのだから。
ただ、日本人にはこのような積極的な出方の出来る人は少ないように思う。日本的な受け身の姿勢は韓国人にはなかなか理解され難いのである。それでも、彼らのなかにはもう一人、日本的な会話の仕方でやんわりと受け答えをしながら、いつとはなしに親しい関係をつくってゆくことのうまい人がいる。これは、積極的な議論とは異なり、少々の知識を仕入れておきさえすれば、誰にでもできる方法なのでご紹介しておこう。
ともかく韓国人には、日本人から「悪かった」のひとことが聞ければ信用しようと考えている人が多いため、日本人との話になれば、すぐにそちらの方に話を持ってゆき、相手の考え方を探ろうとする。彼は、まずそれに乗るのである。
「たとえば相手が、『日本人は戦前のことについての反省が薄いですね、あなたはどうですか』とか言ってくれば、『その通りですね、こんなひどいことをしてますから……、しかしもっとひどいことには……、さらにこんな面もあるし……、それからこんな日本人もいて……』など、こちらの方から、僕なりの日本批判をやるんです。で、『そうでしょ? そう思いませんか』『いや、まったく』とかやりとりをしているうちに、話がわかる人だと、緊張がとれてスッとうちとけてゆくんです。そこらへんから、『日本人もそうだけれど、韓国人にもこんな面がありますね……こういうのは反省すべきじゃないでしょうか?』と正当な主張をすれば、まず韓国人は『はい、その通りです』と言ってきますね。それは正直な人たちですから」
つまり、謝罪するのではなく、自分もかつての日帝に、また現代の日本にも批判を持っていることをまずはっきりさせるのである。それから、柔らかく相手を切ってバランスをとってゆく。この対応の仕方は、まさに日本的なものだが、韓国の問題を語るには、韓国人に大きな説得力を持つ、絶妙なものと感じられた。
この人は、単に日本についてだけではなく、自分たちすら気がついていなかった韓国人の悪い面をよく指摘してくれる——そんな相手の姿勢がわかると、韓国人は強い身内意識を相手に感じてゆく。そういう相手から出される柔らかな、しかも正当で具体的な批判であれば、通常は外国人からの批判には猛烈に反発する韓国人も、素直にうなずくことができるのである。
そして、外国人なのによくそこまで自分たちのことを知っていてくれると驚きかつ感心し、畏敬すべき日本人としてその人を遇するようになってゆくのである。
韓国人の日本人批判に対して、多くの日本人は逃げてしまう。そうでなければ、突っぱねるのである。そうしてしまうシチュエーションはよくわかるし、「それは言いがかりだ」「そんな態度は失礼だ」「個人は個人、国は国だ」などの感じ方もわかる。
でも、民族の皮を被《かぶ》ってはいても、結局は人である。懐《ふところ》に入って行きさえすれば、民族の皮や歴史の皮を脱いだ個人が現われてくる。そして、民族の皮や歴史の皮は、誰もが無意識に被っているものだ。それは、私自身が、日本での生活のなかで、日本人を相手に獲得した体験である。