国家的には天皇の謝罪を、個人的には正面からの議論を、また日本的なバランスをとった指摘を——これが、いまの韓日の間の、決して気持ちのよくない関係を、日本人の側から根本的に好転させようとする際に、当面、最も適切な方法ではないかと私が考えていることである。と同時に、逃げと突っぱねで対応することの多い日本人には、すぐには採用しかねる対応であるかもしれないとも思う。
しかし、そうだとすれば、いまの私には、韓日関係の気持ちの悪さは、時が解決するにまかせる以外に仕方のない問題だと言うしかない。そして、それが真理であることは間違いない。
確かに、韓国の新しい世代は育っている。私はそれを、今年(一九九一年)、夏休みを利用して日本にいる私のもとに遊びにやって来た、第1章でもふれた二人の小学生の甥《おい》たちから、直接肌で感じとることができた。
私は日本にやって来て九年になるが、その間、次々と韓国からやって来るたくさんの同国人と話をしてきた。しかし、はっきり言って、韓国の将来に希望を持つことが出来たのは、この二人の甥たちに対してだけだった。
この可《か》愛《わい》らしい甥たちの心は、ほんとうに開放的なものだった。日本や日本人への偏見などみじんもなく、学校の先生も、日本人とは仲よくしなさいと常に言っているという。彼らにとっての日本は、明らかに、かけねなく興味しんしんの、お隣の経済・技術大国日本であり、顔はそっくりだけれども風習がずいぶん違う、外国以外の何ものでもなかったのである。
時は必ず解決へと向かう。そのことが、私にやっと信じられるようになったのは、甥たちに出会った、つい最近のことである。
でも、と私は考えている。日本的な言い方をアレンジして、「代の風を子孫に送る」ことはできないものかと。私たちの代で心地よい韓日関係へと窓を開いて、その空気を甥たちの代へ送りとどけたい。それは願いであるに過ぎないかもしれない。それでも私は、そうした気持ちを持ち続けていきたいと思っている。
しかし、そうだとすれば、いまの私には、韓日関係の気持ちの悪さは、時が解決するにまかせる以外に仕方のない問題だと言うしかない。そして、それが真理であることは間違いない。
確かに、韓国の新しい世代は育っている。私はそれを、今年(一九九一年)、夏休みを利用して日本にいる私のもとに遊びにやって来た、第1章でもふれた二人の小学生の甥《おい》たちから、直接肌で感じとることができた。
私は日本にやって来て九年になるが、その間、次々と韓国からやって来るたくさんの同国人と話をしてきた。しかし、はっきり言って、韓国の将来に希望を持つことが出来たのは、この二人の甥たちに対してだけだった。
この可《か》愛《わい》らしい甥たちの心は、ほんとうに開放的なものだった。日本や日本人への偏見などみじんもなく、学校の先生も、日本人とは仲よくしなさいと常に言っているという。彼らにとっての日本は、明らかに、かけねなく興味しんしんの、お隣の経済・技術大国日本であり、顔はそっくりだけれども風習がずいぶん違う、外国以外の何ものでもなかったのである。
時は必ず解決へと向かう。そのことが、私にやっと信じられるようになったのは、甥たちに出会った、つい最近のことである。
でも、と私は考えている。日本的な言い方をアレンジして、「代の風を子孫に送る」ことはできないものかと。私たちの代で心地よい韓日関係へと窓を開いて、その空気を甥たちの代へ送りとどけたい。それは願いであるに過ぎないかもしれない。それでも私は、そうした気持ちを持ち続けていきたいと思っている。