女の外見美、性的な魅力が男の玩《がん》具《ぐ》化している韓国では、四十歳以上の女に対して美という言葉は使うことがない。日本人のように「あの美しい中年のご婦人」という言い方はまずない。たとえそう言ったとしても、それは男の願う美とは無縁な、内容のない美とみなされている。
若くて美人。その一点に男たちの欲望が集中されている。韓国では美人が就職に有利なことは言うまでもないことであり、会社では若い美人を職場の花として置きたがる。日本の職場で働いてみて、「会社におばさんが働いている」とびっくりしたが、単なる雑用ではなく、秘書や経理の部署にも中年・老年の婦人が多く働いているのには信じられない思いがした。
日本では考えられないことだろうが、韓国では、本人にいくら実力があっても、不美人や年寄りがあちこちにいると会社のイメージが悪くなるということで、嫌でもやめなければならなくなってしまうのだ。
男が気持ちよく働くためにこそ若くて美人の女が職場に必要となる。日本のレストランで、老年の婦人が料理を運んで来ることは珍しくないが、韓国では小さな個人食堂でしか見られない光景である。年寄りの女は汚いとされ、彼女たちは自覚して表に出ないことをよしとしている。韓国で彼女たちには、目に見えない裏の仕事しか与えられることがない。
日本ではそんなことがないので、私の教室にも四十歳を越えるホステスが来ていたことがある。しかし、他のホステスたちは誰もまさかホステスだとは思わず、クラブの厨《ちゆう》房《ぼう》で働いているものと信じていた。
日本では老婦人がママをやっているスナックに男たちは足しげく通う。よくも、そんなに貧相な店に、一流企業のビジネスマンまでが行くものだと思った。不思議どころではなく、理解を絶することだった。
「なぜ、ああいう店にみなさんよく行くんですか?」と知り合いの日本人に聞くと、「男を引きつける魅力がママにあるから」と言う。「え、そんな年で?」と聞きかえすと「いや、もちろん人の心をだよ」との答え。
私はこの答えに深く考えさせられることになった。それまで、中年以上の女が「男を引きつける」ことができるものだとは思ってもみなかった。キラキラと水面に輝きを見せる、女の魅力という名の海の底には、心の美という見えない「場所」があったのである。
こうした日本を知ってから、私はようやく、四十歳を越えても、日本でなら生きてゆけるという思いを持つことができ、心に大きなゆとりが出てきた。それまでは、いつも心にゆとりがなく、歳をあせって、早く、早くと生きて来たように思う。
韓国では、四十歳になってもなお人に雇われることはみっともないこと。また、四十歳ともなれば、女としての価値はなくなる。そこで、まだ商品価値のある三十代で、なんとか人を雇える仕事の基盤をつくらなくてはと、日々あせっていた。
日本に来てから、ずいぶん長い間、私はそのように毎日をセッカチに暮らしてきた。