一九九一年になって韓国では、やっと、女にも財産継承権が認められ、また女が単独で戸籍を持つことも出来るように民法が改正された。それまでは、女が自分の戸籍を持つことができなかったため、離婚した場合には、女側が子どもを自分の戸籍に入れることが出来なかったのである。
協議によって母親が子どもを育てることになったにしても、子どもの戸籍は父親の戸籍のまま動くことがなく、女の戸籍はまた実家の父の戸籍に戻っていくしかなかったのである。
こうして、未婚の母の問題が出て来ることになったのだった。未婚の女が子どもを生んだ場合、その子の戸籍をのせるところがなくなってしまうのである。そこで、なんとか自分の兄弟の戸籍に入れてもらおうとする。しかし、韓国では未婚の母は社会的に許されざる不道徳な存在である。だから、兄弟たちは、姉妹の子どもとはいえ、あくまで自分の戸籍を汚すまいとする者が多い。
そこで、どうしても戸籍をつくれない子どもたちが多数出てくることになってしまう。そうした子どもたちの多くが、外国で子どもを欲しがる人びとの養子にと「輸出」されて行った。
こうした事情があるため、韓国は世界一の「孤児輸出国」の汚名を着ることになってしまった。一九八九年に海外の親と養子縁組が成立した韓国の孤児は、三五五二名を数えている。二位のコロンビアが七三五名、三位のインドが六七七名、四位のフィリピンが四八一名などの数字からも、韓国の孤児数が他の諸国より極端に多いことがわかる(東亜日報編著『韓国人の自己批判』光文社より)。
ようやく法律が改正されて、女たちが自分の戸籍を持てるようにはなった。しかし、いまだに子どもの戸籍の行《ゆく》方《え》に悩む女たちが絶えない。なぜなら、女が単独の戸籍を持ち、そこに自分の子どもを入れれば、離婚者でない場合は、自ら未婚の母だと宣言することになるからである。
韓国では、依然として、未婚の女が子どもを産むことを悪とする風潮が強くあるのである。
これまでお話しして来たことからも、言うまでもないことと思うが、韓国の現実では、未婚の母が出てくる原因は、大きく男の側にある。いや、そのように男をふるまわせてしまう韓国の男権社会の伝統に根ざしている。なぜ韓国は、誰にもある母性への慈《いつく》しみの心を、日本のように、文化として、制度としてつくり上げることが出来なかったのだろうか。