このトラブルは少々脚色してはあるが、有名なものなのでご存知の方もいらっしゃると思う。しかし、なぜ韓国側が、企業の常識を無視したような、こうした「一方的な甘え」を日本側に対してするのかということについては、あまり言われることがない。とにかく「常識はずれだ、どうも韓国人はわからない」で終わってしまっている人が、やはり多いのである。
私には、韓国側がなぜそのようにズレた主張をするのかよくわかる。韓国側は明らかに、パートナーとの関係を義兄弟の関係と同じように考えているのだ。
企業と企業との関係なのに、まさか、と思われるかもしれないが、実際にそうなのである。韓国側の発言にはなんら底意があるわけではなく、また相手に甘えているつもりもない。言葉どおり、「それはお互いにいいことだ」と、心底からそう考えている。
韓国では、社会的な契約関係も友だち関係とほとんど同じ関係意識で支えられている。その意識のなかでは、契約(信義の結縁)をしたことが重要なのであって、契約の具体的な条件は親密な間柄のなかでは、いくらでも融通性を持つものと理解されている。だから、一方の友だちの利点を他方が生かして双方の利益を生もうとすることは、当然、契約の目的にかなったことで、どこが悪いのかという発言が出てくることになるのだ。
そこでは、次のようなことが、韓国側の意識のなかには、まるで収まっていないのである。
「自分で売れば一〇の利益を生むものを、お前に任せればこっちの利益は五になってしまう。それではこっちが損だから、利益の配分の仕方を変えて、平等にしよう」
実際、同じようなケースでそうした説明をしたところ、「いや、自分は二〇売ってみせる」と豪語されたという話を聞いたことがある。
お金はそのときに持っている方が出すし、そのときに力のある方がない方を助ける、それが友だちというもの。いまは日本の方が力があるのだから、当面は私たちを助けるべきである、こちらに力がつけば、今度は私たちがあなたたちを助けてあげる。そうやって、ながくつき合って行こうではないか——。
大方の韓国人経営者たちは、多かれ少なかれ、こんなふうに考えている。しかし現実には、常に日本側がリスクを負担し続けることになるため、日本人にとっては「一方的な甘え」とみなすしかない。しかも、力のある方がそれを提供するのは当然のことだと考えているから、いわゆる謙《けん》虚《きよ》な姿勢を見せることもない。そのため、日本人は「なんてずうずうしい人なんだ」と思ってしまうのである。