この高級品志向とも関連があるが、韓日ビジネスでしばしば問題となるのが、韓国人の賄《わい》賂《ろ》の習慣である。李氏朝鮮時代の十八世紀ともなれば、賄賂によってヤンバンになることも可能だった。その流れもあるが、一般では、前近代のプレゼント、お土産《みやげ》の習慣が賄賂に変わってしまっているところがある。
日本人でお土産と言えば、お土産そのものよりも、そこに込められたまごころの問題になる。だからこそ、手作りのものが喜ばれたりもする。韓国人では、お土産そのものが高い物か安い物かで相手のまごころを計る。だから、安いものをもらうと気分が悪くなるし、安っぽい手作り品をプレゼントされても、嬉《うれ》しい気持ちにはならない。人を軽視したことになるからだ。
高いお土産を貰うことのできる人は、それだけ高い地位があることを示している。だから、ある程度の社会的地位にある人には、とても安いお土産をあげることはできない。地位や経済力に対して、それなりに見合ったものを、プレゼントとして、目に見える形で表わさなくては意味がないのだ。このへんから、プレゼントが賄賂へとすべり込んでゆく。
一九九一年、韓国でやっと地方自治体の議員選挙が全国で統一的に行なわれた。こうして地方自治が始まったのだが、日本の新聞でも報道されたように、各地の地方議会で汚職事件が続出してたくさんの逮捕者が出、機能マヒに陥る議会が相次いだ。そのため、補欠選挙が各地で行なわれるという事態を生んでしまった。
ある地方自治体では、実に半数以上の議員が収《しゆう》賄《わい》の容疑で逮捕され、完全に機能がストップしてしまった。教育長を選ぶため、候補者たちから議員たちへ向けて、札びらが飛びかったのである。そして、自ら高い地位にあると思っている議員たちが、その札びらを当然のこととしてポケットへ入れたのだった。