飲みにくかろうが、価値がわからなかろうが、自分が高いお土産をあげたということさえ、相手にわかってもらえればいいのだ。物質の金銭価値が、自ずと自分の心を語ってくれると信じているからである。
日本人は、高いものをもらうとかえって負担に思ってしまう。そういう点では、日本人には高麗人参の価値は、むしろわからない方がいいかもしれない。
韓国との取り引きの多い日本人ビジネスマンでも、高級品だからこそ高麗人参がお土産になるということを、わかっていない人が多い。こんな言い方をする人がいるのである。
「なぜ韓国人は僕に人参ばかりくれるんでしょうかねえ。家には人参がどっさりと積んであるんですよ。それより韓国の海《の》苔《り》なんかが欲しいのに」
自分が尊敬している人に、海苔のような安いものを贈ることは、贈る方の気持ちが許せないのである。単に自国産で珍しいことでは、外国人へのお土産としての価値にはならない。あくまで金銭的に高価であり、なおかつ韓国産のもの、それが最も外国人への贈り物にはふさわしい。そこで、いきおい、高麗人参が外国人への贈り物の代名詞のようになるのである。
韓国では、千円、二千円程度のものをお土産にするなど考えられないことだ。私もいまでは大学の先生の家を訪問するときなどでも、その程度の値段のお菓子を持ってゆく。しかし、いくら日本的になった私でも大きな抵抗感を感じてしまう。そこで、まだ私も、相手がどんなものが好きかわからないときはとにかく高いものを選んでしまう。また、お金がないときには訪問が気の重いものともなってしまう。