日本には、贈り物をもらえばお返しをする習慣がある。しかしお返しは、韓国人の心をいたく傷つけるのである。贈に対する答があって、初めて贈答という相互交換の儀礼が成り立つ。韓国にもそれがまったくないわけではない。しかし、個人関係でのもらい物にお返しをしたり礼状を出したりする習慣はない。韓国人は、贈り物をあげたこと、日本的に言えば、相手に義理をかけてあげたことが嬉《うれ》しいのであり、また、贈り物をもらって当然の場面でもらい、相手から義理をかけられることが嬉しいのだ。
だから、お返しは義理の帳消しとなるので、韓国人はとても嫌な感じを受けてしまうことになる。私も日本的な慣行の意味がわからなかったときは、そんな韓国人の気持ちを何回も味わっていた。
私がフランス旅行から帰ったとき、二人の先生に高級な香水をお土産にと差し上げた。そして、少したってから、一人の先生が私に、「学生にプレゼントをするのは初めてだ」と言って、一個の紙包みを手渡した。お返しの慣行など知らない私は、先生がとくに私に好意を持って、純粋にプレゼントをしてくれたのだと嬉しくなってしまった。
何回も包装された紙をとって箱の中を見ると、一組のコーヒーセットだった。私はそれを見てがっかりした。韓国人はコーヒーをパーソナルな場面で飲むことが少ないから、コーヒーセットなら五、六人分で一セットを常識としている。そのため、一組のコーヒーセットでは使い道がないではないかと、腹立たしさすら覚えたのである。かといって捨てるわけにはいかないので、受け皿は花瓶を敷くために使い、カップは歯磨き用に使うことにした。
そのことは、まだいいのだが、さらに憤《ふん》慨《がい》したのがお返しであった。箱の中に先生の手紙があって、「この前いただいたもののお返しです」とあるのだ。私は、高級な香水に対して安価なコーヒーセットを返すなんて、まったく人をバカにしていると憤慨したのである。
しかし、同時に私はある不安を感じた。それは、私の先生へのプレゼントには、「日本語が十分できないため、試験のときの点数に手加減を加えて欲しい」という狙いがあったからである。こういう、賄賂とも言える先生へのプレゼントは、韓国では普通のことだった。しかし、お返しという奇妙なプレゼントをもらったとなると、これは、その狙いを帳消しにすることを意味するものかもしれないと不安を感じたのである。