韓国では、賄《わい》賂《ろ》を悪いものだといって単に禁止しても、決して減るものではない。その理由はいくつかある。
ひとつには、お金のない人を助けようとお金をあげることを善とする考えが厳然としてあること。もうひとつは、お金を持っていない人が持っている人からお金をもらうことを当然とする価値観があること。そして、そのような授受によって自然に、互いの間に上下関係がつくられてゆく(上下関係が韓国社会の最も重要な秩序である)。
陽があれば陰があるのは当然で、上下関係は持つ者、持たない者の間で、自然につくられていくと韓国では発想される。日本人のようにバランスをとろうとはしないのである。
誰もがヤンバンのようにお金を使いたい。「お金を使いたい」のは、欲しいものを買いたいというよりも、お金を使うことで他の人に「上級の人間だ」と認められたいから、ということにより重点が置かれている。韓国では、何か具体的な目的のためというよりは、恰《かつ》好《こう》をつけるために、よく言えば相手を助けてあげられるからお金が欲しいのである。
韓国人は、酒場へ行くとチップをよく使う。ホステスたちの収入がチップ制になっているからでもあるが、酒代よりチップ代の方がかさむ高級酒場も多い。ホステスたちから「上級の人間」と認められ人気者になるには、チップが高くなくてはならない。さらに、ほとんどの酒場ではビール一本がいくらと値段がつけられてはいないし、またいくらだという相場もない。
たとえば、「このビールをあなたならいくらで買いますか?」とホステスが聞いたとする。すると、ある客は「一万円」と値をつけ、ある客は「十万円」と値をつける。そんなふうに、いくら払うかで客の質が決まるのである。社会的な地位のある人は、とくに高く買わなくては、酒場からも仲間からも笑い者にされてしまう。
私は日本のある一流企業のエリート社員に、「あるお店であなたが飲んで五万円だったものが、あなたの友だちが飲みに行って一万円だったと聞けば、あなたならどう思いますか?」と聞いてみたことがある。そのビジネスマンは「もちろん腹が立ちますよ」と言う。私が「韓国人ならそこで喜ぶんですよ」と言うと、「えっ? そんな……」と、まさしく狐につままれたような顔をしていた。
ホステスは客を見て値をつけ、客は人より高くされて気分をよくするのである。
そんな見栄っ張りの韓国人でも、自分が表に出ないで、隠れて他人に奉仕することはあるにはある。でも、ほんとうにその通りにしている人は少ない。結局は、他人に認めてもらいたいからそうしている場合が多いのだ。
たとえば、災害が起きて多くの人が被害を受けたとき、新聞には、必ずと言ってよいほど、援助した個人や会社の名前が大きく出る。そういう公開があることを知っているから、それを期待してやるのである。
韓国の教会では、献金袋のなかに額を書いた紙を入れることになっており、壁にズラリと各個人用の献金袋が貼ってある。ちょっとなかをのぞけばその人がいくら出しているかがすぐわかる。自分はこれだけ出しているということを、暗黙のうちに示せるようになっているのだ。教会でも、そういう韓国人の心理が利用されている。