はじめに、この本の成り立ちについてぜひお話ししておきたいと思います。
昨年の暮れに出しました私の初めての本、『スカートの風』には、実にたくさんの読者の方々から、読者カード、お手紙、お電話などで、多数のご意見をお寄せいただきました。また、インタビューなどで多くのジャーナリストの方々とお会いすることにもなり、その際にも貴重なご意見をたくさんいただきました。
このように大きく、また暖かい迎え方をしていただくことになろうとは、実のところ夢にも思ってみませんでした。私の働く小さな事務所に、日をおくことなく、次から次へと読者の方々の声が飛び込んでくることになったのです。
大きな反響、と言ってしまってはもったいない、きめ細かいご指摘と、ご自分の体験的な共感を含めての暖かい励ましの言葉がまことに多く、実際、ほとんどが、ひとつひとつ丁《てい》寧《ねい》にお答えしなくてはならない真《しん》摯《し》なお言葉に満ちたものばかりでした。
「本の著者には初めて手紙を書く」と言われる方、「感動を受けた」と言って下さる方、さらに、私の意図していたことよりも深く読んで下さり、もう一人の私をつくって下さった方もいらっしゃいます。それらのお手紙を鏡として、そこにもう一度私を映して見ることができたことは、ほんとうにありがたいことでした。
そうした喜びを与えていただきながら、多くの方々にほとんどお返事できないまま過ごすことになってしまいました。心からおわびを申し上げます。
前著発刊の直後から、この本の原稿の準備に入りましたが、その間に読者の方々からのお手紙を読むことはとても楽しいことでした。読むといつも、私の胸のなかに暖かさが入ってきて、いかにも固まった恨《ハン》が溶けてゆくような感じを味わうことができるのでした。また同時に、書かれているご意見から大きな刺激を受けるのでした。私はまさしくそのような毎日のなかで、この本の原稿を一行一行書いてきました。
したがってこの本には、そうした、日々いただいてきたご意見を、私なりに整理してまとめさせていただいたものが、たくさん入っております。この場をかりまして、心からお礼を申し上げたいと存じます。ほんとうにありがとうございました。
この本の主なテーマは「いき違い」です。若いころ、どうして人と人とはいき違うのかと、真剣に悩んだこともあります。考え方や思想、知識の多少、環境、性格、感受性……。単にそうした違いからは、どこか取り返しのつかないような深い「いき違い」が生まれることはないように思えました。
よくはわからないのですが、私自身は、人との間の切実な「いき違い」をずっと追ってゆくと、どうしても、生まれたときからのそれぞれの育ち方の違いにたどりつくと思わざるを得ないのです。そこに根のある「いき違い」は、なぜいき違っているのか、ほとんどお互いに気づくことがありません。それは、考えるより先に、いきなり強い嫌悪感や好感の情がやって来て、その情に自分も相手も包み込まれてしまい、何かが見えなくなってしまうからだと思うのです。
私は日本に来てから、知らないうちに、その見えない、何かわからない場所にはまりこんでしまっている自分を感じるのです。正しいかどうかはわかりません。でも、その場所で苦しみながらいろいろなことを考えて来たと感じている私にとっては、そこが韓国人と日本人との間の、切実な「いき違い」の、生《なま》々《なま》しい現場であることは確かなのです。
私はその場をとりあえず、習慣とか国民性とか文化とか、さまざまな言葉で表現していますが、どれも適切な言葉だとは思えません。「それぞれの地に住む人びとの民族的な成育歴からやって来る心身の処し方」とでも言えば、少しは近いでしょうか。
そこをなんとか、くっきりと浮かび上がらせてみたい。そのような大それた思いが先に走り、本としてのまとまりを犠牲にしてしまったような気がしてなりません。読みにくい点が多々あることをおわび致します。
もうひとつ、申し述べておきたいことがあります。それは、私の日本人観は、少々「古き日本人」についてのもので、また「よき日本人」の評価へと偏《かたよ》り過ぎている、というご意見が少なからずあった、ということです。
なるほど、と思いました。私がこれまでに最も多くつきあい、また最も多くの刺激を受けて来たのは、いわゆる団塊の世代、全共闘世代といわれる人たち、なかでもビジネスマンたちでした。したがって、私の日本人観の中心が、それらの人びととの交流のなかからつくられていったものであることは確かです。
私に偏りがあるとすれば、それは、私がこの世代の日本人を通して見た日本人像に強い魅力を感じているからであり、また、その日本人像を評価することに、一人の外国人として大きな意義を感じているからだと思います。それ以外に他意のないことをお伝えしたいと思います。
もちろん、他の世代の日本人が嫌いなわけではなく、団塊の世代の人びとは、よくも悪くも「現代日本」をすぐれて映し出している、ということにほかなりません。団塊の世代の印象は、特定の中心を持たない、さまざまな小さな世界をちりばめたような、多軸な宇宙の集合——そんな具合です。でもそれがひとつの宇宙を形づくっている。それが私にとって大きな驚異でした。
さて、この本もたくさんの方々のお力ぞえを受けて陽の目を見ることができました。多くのご援助に深く感謝の意を捧げます。