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風に吹かれて01

时间: 2020-07-29    进入日语论坛
核心提示:赤線の街のニンフたち ある作家から、「きみはセンチュウ派か、センゴ派か」と、きかれた。ピンときたので、「センチュウ派です
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赤線の街のニンフたち

 ある作家から、
「きみはセンチュウ派か、センゴ派か」
と、きかれた。
ピンときたので、
「センチュウ派です」
と、答えた。
その作家は目《め》尻《じり》にしわをよせてかすかに笑うと、それは良かった、と言った。
良かった、と言うべきではないかも知れない。だが、私には、その作家の言葉にならない部分のニュアンスが、良くわかった。
おくればせながらも、センチュウ派の末尾に位置し得たのは、良かったと思う。だが、良かったから元へもどせ、などとは言いたくない。滅んだものは、もうそれでおしまいだ。どんなに呼んでみたところで、ふたたび返ってきはしない。
後はただ白浪《しらなみ》ばかりなり——。何の文句だったろうか。終ったお祭り。紀元節。失われた祝祭を復活させようとするのは、空《むな》しいことだ。私は、そう思う。
良かった、というのは、過去の記憶を飾るささやかなリボンにすぎない。センゼン派は皆、それぞれのリボンを頭に結んでいる。私のそれは、短くて貧弱だ。だが、風が吹くたびに、そいつが揺れるのを私は感じる。そのことを少し書こう。いわゆる赤線廃止のまえに、その巷《ちまた》に一瞬の光陰を過した〈線中派〉の感傷である。
そのころ私は、池袋の近くに住んでいた。立教大学の前を通りすぎて、もっと先だ。
十畳ほどの二階の部屋に、十人ほどのアルバイト学生が住み込んでいた。私もその一人だった。
呆《あき》れるほど金のない連中ばかりで、何だかいつも腹をすかしていたように思う。
仕事は専門紙の配達である。業界紙とは言わずに、専門紙と言っていた。世の中に、これほど様々な新聞がある事を、私はその職場ではじめて知った。有名なものもあり、そうでないのもあった。
株式新聞、重工業新聞、日本教育新聞などが有名なところだった。ほかに数十種の専門紙があった。
毎朝、まだ暗い東京の街を、私たちは青い自転車を飛ばして出動した。目白を通り、飯田橋を抜け、日本橋の一角まで、十数台の自転車を連ねて全力疾走する。
事務所で各自の新聞を揃《そろ》え、配達にかかるのだが、その地区たるやべらぼうな広さだった。
そのため私は今でも、月島や、佃島《つくだじま》のあたりの露路を頭の中に思いうかべる事ができるし、町屋や、葛《か》西橋《さいばし》あたりの地理もくわしい。
「ついに一ドル相場実現……」
という証券新聞の大見出しを憶《おぼ》えているから、たぶん世間は景気が良かったのだろう。
だが、私たちは、少しも、良くなかった。配達を終えて、また自転車を池袋方面へ走らせる時には、うんざりしていた。金もなかったし、ひどく疲れていた。
そんな中でも、やはり時には女のいる街へ出かけた。どこをどう工面したのか、記憶にはない。今おぼえているのは、ファジェーエフとか、カターエフとか、オストロフスキイとか、その度《たび》に古本屋へ持って行った作家たちの名前だけだ。
新宿二丁目あたりは問題にならなかった。あんな所はブルジョア階級が豪遊する場所だと思いこんでいた。一度だけ、配達用の青自転車で駆け抜けた事かある。豪華さと、美人が多いのに驚嘆した。少なくとも、当時の私には、そう思われた。
私が時たま出かけるのは、北千住《きたせんじゅ》の街だった。立石《たていし》や、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の方面へは、近くの採血会社の帰りに寄ったりした。
新宿の街は、その辺といろんな面で違うように観察された。だいいち、名前が高級だった。英語や、フランス語や、ドイツ語の名前の店が、そこにはある。
私の知っている北千住の店は、〈正直楼〉といった。女の子の名前が、マツという。それにくらべると、新宿には、アンヌとかエリカなどという女がいそうな気がした。
視線が会うと、すっと伏目になって半身を扉《とびら》の陰に引くようにする。新宿の客は知的なので、こんなソフィスティケイションが有効だったのかも知れない。
私は新宿に感心したが、自転車からは降りなかった。私の行くのは、お化け煙突の街だった。
月のなかばに、週末をさけ、出来れば雨降りの夜をえらんで三河島の駅から歩いた。夜半を過ぎると、四百円位で泊れる事もあった。
だからといって、待遇が悪いという事はなかったように思う。女の足音を待ちながら、雨の夜明けに戦前の〈家の光〉などを読んでいると、そのまま眠ってしまう事があった。朝、五時から自転車を走らせているのだから、無理もなかった。
冬の終り頃だったろうか。女が金を帳場に持っていった間に、そのまま、眠り込んでしまったらしい。目を覚《さ》ますと、五時だった。女は私の隣りで寝ていた。
「なぜ起さなかったんだ」
「だって、兄ちゃんが、あんまりぐっすり寝込んでるもんだから——」
東北から出て来て六ヵ月という女の子は、しんそこ恐縮しているように見えた。自分が帳場に行ってもどってきた何分かの間に、あんたはもう眠っていた、よほど疲れているに違いないと思って起さなかったのだ、と彼女は言った。
「帰る」
と私は言って服を着た。配達の時間がせまっていた。
「まだ暗いよ」
「配達の仕事があるんだ」
彼女は、玄関で私の靴をそろえ、
「ごめんなさいね」
と、訛《なま》りの強い言葉で囁《ささや》いた。「そこまで送っていく」
私は、その日に限って青自転車て来ていた。車のスタンドを靴先でバタンとはねて、私は走りだした。
「ちょっと待って」
と、女が後ろから叫んだ。彼女は着物の前を片手で押えて玄関に駆け込んだ。何か果物でも持って出てくるのだろうか、と私は想像した。女が出てきた。
「ほら。後ろのタイヤが抜けてる」
と、彼女は手に下げてきた空気ポンプを差し出して言った。私は、がっかりしたが、自転車を立て、空気ポンプを受け取った。
「あたしがやってあげる」
女はたくましい腕を見せて、空気ポンプを押した。ギュッ、ギュッと音を立て、タイヤが固くなった。
女はポンプをはずすと、手でタイヤをにぎり、
「固くなった」
と、言って、一瞬、照れたように笑った。
「これで大丈夫」
「うん」
「あんまり来ないほうがいいよ、こんなところ」
「眠るだけなら家でも眠れるからな」
皮肉を言って私は走り出した。暗い空に、巨大なお化け煙突の影が見えた。みち足りた睡眠と、不満な欲望とが入りまじって、妙な具合だった。風が冷たかった。日本橋への道は遠かった。
「固くなった」
と、言って照れた女の顔を思い出すと、私は何となく、良かった、と思う事がある。
だが、それはすでに滅びてしまった祭りの笛太鼓だ。それを復活させようとは思わない。失われたものは、二度と返ってこない。それが本当なのだ。
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