人生の楽しみには、いろんなものがある。
酒、女、賭《か》けごと、なども楽しみにはちがいないが、いささか単純だ。
悪口、貯金、浪費、などというのもある。最近の若い男の子たちにとっては、お洒落《しゃれ》も重要な楽しみのひとつらしい。一流新聞の誤植をさがす事に、生き甲斐《がい》を感じているような男もいる。
私も以前は、睡《ねむ》ることが楽しくてたまらない時代があった。
煙草をやめて六カ月になるが、禁煙というのも楽しみの一種かも知れぬ。肺ガンが怖《こわ》くて、煙を口先でふかしている相手に、
「うらやましいなあ。こっちは目下禁煙中でね。いや、なに、まだ半年そこそこさ」
などとうそぶくのは、いい気持のものである。どちらかと言えば、ひねくれた楽しみといえるだろう。
もっと違った楽しみもある。
〈他の人々と協力して何かをやる楽しみ〉というやつはどうだろう。あまりパッとしない楽しみのようだが、人間、誰しもこの楽しみを心の中で望んでいるのではあるまいか。
〈他の人々〉といっても、男と女の事ではない。あれは大変だ。
〈性交を終えたる後《のち》、すべての生物は哀《かな》し〉
ローマの詩人は、そんなふうに歌ったという。私の言うのは、男同志の仕事のことである。何か或《あ》る仕事を、何人かで力をあわせてやりとげる楽しみというやつだ。終った後に充実した高揚感が残るのは、その種の行為だけではなかろうか。
先日、東京から雑誌のグラビア撮影のために二人のお客さんが見えた。
タクシーをチャーターして、まず金沢の市内を回った。それから、内灘《うちなだ》へ車を走らせた。かつて米軍の試射場があった内灘の浜は、今は海水浴場に変っている。
ニセアカシアの群落をぬけて、赤や青のビーチハウスのそばまで来た。砂地の固い所へ車を回し、砂丘のあたりで少し撮影をした。それから、車に乗りこみ、波打際《なみうちぎわ》を走ってみようと運転手氏にけしかけた。
「さあ」
と、中年の口《くち》下手《べた》な運転手氏は首をひねった。「砂がどうかね」
「だいじょうぶだ」
と、私が彼をはげますように断言した。「この前に来た時も、タクシーで走ったんだ」
ビーチハウスの横から波打際まで二十五メートル位のものだろう。柔らかい砂浜で、ゴム草《ぞう》履《り》の片っぽだとか、コーラのびんだとか、夏の名残《なご》りが散乱していた。
前にタクシーで走った、と言ったのは嘘《うそ》だった。なんだかそんな気がしただけで、私は要するに砂というものをなめ《・・》ていたのだ。
タクシーは低いエンジン音をたてながら、砂の中へ進んで行った。砂地の中途まで来たところで、運転手氏の不安があたった。
車の後輪が砂地にめりこんで、空転しだしたのだ。
「やっぱり無理だったな」
私と、カメラマンのAさん、記者のOさんの三人は車から降りた。私たちは、まだその時は事態をはっきり把《は》握《あく》していなかった。三人がかりで押せば、車は楽に動くだろうと信じこんでいたのだ。
これがまちがいだった。車は、押しても引いてもビクともしない。運転手氏が舌うちして、私たちを咎《とが》めるような目つきで見た。
私たち三人の客は、何度か車をスタートさせようと試みた。だが失敗に終っただけだった。私たちは、とほうに暮れてあたりを眺《なが》めまわした。
季節はずれの浜《はま》辺《べ》には、外の車も見えなかった。ただ、波打際で二、三十人の小学生男女が、甲高《かんだか》い声を張りあげて遊んでいるだけだ。その中の数人が、砂地でエンコしたタクシーを見て近づいてきた。女の子も何人かついてきた。引率者の教師らしい青年は、タクシーを見つけて、ゆっくり歩いてきた。
「おい、君たちみんな、頼むよ」
私は小学生に声をかけた。
今度は人数が多くなった。車の周囲に、蟻《あり》のようにとりついた子供たちは、私のかけ声と共に、足をふんばった。
車は奇《き》蹟《せき》のように持ちあがった。エンジンをふかすと、身震いするように前方へ走り出した。そして波打際まで来て、またもや、砂に後輪を沈めてしまった。
私たちは、いろんな努力をした。後輪の下を掘ってみたり、子供たちに頼んで、もう一度、持ちあげてみようとしたりした。
だが、今度はだめだった。押せども引けども、びくともしない。運転手は、むくれたような顔で車から降りてきた。
波打際のため、日本海のしぶきが遠慮会釈なしに吹きつけてくる。
運転手氏は、怒っているようにも、あきらめているようにも見えた。車は、波打際の傾斜にのめりこんだまま、次第に高くなる波に洗われようとしていた。
私たちは、それぞれ、車輪の下に木片を差し込んだり、砂を掘ったり、必死で働いた。
私も、Aさんも、Oさんも、足もとを波で洗われ、裸足《はだし》になって頑《がん》張《ば》った。日本海の海水は恐ろしく冷たく、長く足をつけていると感覚がなくなる。風が出て来た。空は暗い。
「おーい、みんな来てくれえ」
私は子供たちを呼び集めた。小学生たちは、押しても引いても動かない車に飽いて、上の方でドッジボールをはじめていた。
子供たちに手伝ってもらって、私がかけ声をかけた。車輪が持ち上った。板ぎれをタイヤの下に素早くはさむ。エンジンの音。動いた。加速しながら、波打際を疾走して行く。百メートルほど走って、ビーチハウスのほうへ上りかけた所で、また動かなくなった。
子供たちは、もう興味を失ってしまったらしく、遠くへ行ってしまった。
その日、私たちは、わずか二十五メートルあまりの砂漠を横断するのに、四時間近くの時間をついやした。動いては埋まり、掘り出しては動かした。私たちは、近づいてくる夕暮れの気配におびやかされながら、必死で砂と闘った。
大げさだと思うが、私は砂漠の真中で、砂から脱出しようとする隊商の男のような気分を味わった。今日、はじめて顔を合わせた物書きと、カメラマンと、記者と、運転手の四人の男が、不機《ふき》嫌《げん》な顔をつきあわせて、それでも力を合わせて働いた。
キメ手はトタン板だった。車輪の下にしいたトタン板を、数メートル動くたびに順ぐりに前輪の下にはさんで、砂漠を突破したのだ。最後の数メートルを、思いきり後輪を空転させて車が渡りきりビーチハウスの方へダッシュした時、私たちは思わず歓声をあげた。
〈飛べ! フェニックス〉という映画のことを私は思い出した。砂漠に墜落した大型機を分解して、男たちが新しい飛行機を作りあげる物語である。あれにくらべると、何ともみみっちい話だが、それでも私たちは今日、何事かをなしとげた、という感じがしていた。私のカルダン・シューズは、潮を吹いて使いものにならなくなったし、Aさんのコートは、オイルで黒く汚《よご》れていた。四人とも、ひどく疲れて、むっと押し黙っていたが、私はAさんや、Oさんや、運転手氏に、一種の連帯感のようなものを感じていた。
たかが二十五メートルの砂地を越えただけの話だ。だが、〈性交を終えたる後、すべての生物は哀し〉といった感覚とは正反対のものが、そこにはあった。
遊べは遊ぶほど空《むな》しく、集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ、という気がする。そんな時代に、孤独から抜け出る道は、こういった共同の行為にしかあるまい。ほかに何があるだろう。
酒、女、賭《か》けごと、なども楽しみにはちがいないが、いささか単純だ。
悪口、貯金、浪費、などというのもある。最近の若い男の子たちにとっては、お洒落《しゃれ》も重要な楽しみのひとつらしい。一流新聞の誤植をさがす事に、生き甲斐《がい》を感じているような男もいる。
私も以前は、睡《ねむ》ることが楽しくてたまらない時代があった。
煙草をやめて六カ月になるが、禁煙というのも楽しみの一種かも知れぬ。肺ガンが怖《こわ》くて、煙を口先でふかしている相手に、
「うらやましいなあ。こっちは目下禁煙中でね。いや、なに、まだ半年そこそこさ」
などとうそぶくのは、いい気持のものである。どちらかと言えば、ひねくれた楽しみといえるだろう。
もっと違った楽しみもある。
〈他の人々と協力して何かをやる楽しみ〉というやつはどうだろう。あまりパッとしない楽しみのようだが、人間、誰しもこの楽しみを心の中で望んでいるのではあるまいか。
〈他の人々〉といっても、男と女の事ではない。あれは大変だ。
〈性交を終えたる後《のち》、すべての生物は哀《かな》し〉
ローマの詩人は、そんなふうに歌ったという。私の言うのは、男同志の仕事のことである。何か或《あ》る仕事を、何人かで力をあわせてやりとげる楽しみというやつだ。終った後に充実した高揚感が残るのは、その種の行為だけではなかろうか。
先日、東京から雑誌のグラビア撮影のために二人のお客さんが見えた。
タクシーをチャーターして、まず金沢の市内を回った。それから、内灘《うちなだ》へ車を走らせた。かつて米軍の試射場があった内灘の浜は、今は海水浴場に変っている。
ニセアカシアの群落をぬけて、赤や青のビーチハウスのそばまで来た。砂地の固い所へ車を回し、砂丘のあたりで少し撮影をした。それから、車に乗りこみ、波打際《なみうちぎわ》を走ってみようと運転手氏にけしかけた。
「さあ」
と、中年の口《くち》下手《べた》な運転手氏は首をひねった。「砂がどうかね」
「だいじょうぶだ」
と、私が彼をはげますように断言した。「この前に来た時も、タクシーで走ったんだ」
ビーチハウスの横から波打際まで二十五メートル位のものだろう。柔らかい砂浜で、ゴム草《ぞう》履《り》の片っぽだとか、コーラのびんだとか、夏の名残《なご》りが散乱していた。
前にタクシーで走った、と言ったのは嘘《うそ》だった。なんだかそんな気がしただけで、私は要するに砂というものをなめ《・・》ていたのだ。
タクシーは低いエンジン音をたてながら、砂の中へ進んで行った。砂地の中途まで来たところで、運転手氏の不安があたった。
車の後輪が砂地にめりこんで、空転しだしたのだ。
「やっぱり無理だったな」
私と、カメラマンのAさん、記者のOさんの三人は車から降りた。私たちは、まだその時は事態をはっきり把《は》握《あく》していなかった。三人がかりで押せば、車は楽に動くだろうと信じこんでいたのだ。
これがまちがいだった。車は、押しても引いてもビクともしない。運転手氏が舌うちして、私たちを咎《とが》めるような目つきで見た。
私たち三人の客は、何度か車をスタートさせようと試みた。だが失敗に終っただけだった。私たちは、とほうに暮れてあたりを眺《なが》めまわした。
季節はずれの浜《はま》辺《べ》には、外の車も見えなかった。ただ、波打際で二、三十人の小学生男女が、甲高《かんだか》い声を張りあげて遊んでいるだけだ。その中の数人が、砂地でエンコしたタクシーを見て近づいてきた。女の子も何人かついてきた。引率者の教師らしい青年は、タクシーを見つけて、ゆっくり歩いてきた。
「おい、君たちみんな、頼むよ」
私は小学生に声をかけた。
今度は人数が多くなった。車の周囲に、蟻《あり》のようにとりついた子供たちは、私のかけ声と共に、足をふんばった。
車は奇《き》蹟《せき》のように持ちあがった。エンジンをふかすと、身震いするように前方へ走り出した。そして波打際まで来て、またもや、砂に後輪を沈めてしまった。
私たちは、いろんな努力をした。後輪の下を掘ってみたり、子供たちに頼んで、もう一度、持ちあげてみようとしたりした。
だが、今度はだめだった。押せども引けども、びくともしない。運転手は、むくれたような顔で車から降りてきた。
波打際のため、日本海のしぶきが遠慮会釈なしに吹きつけてくる。
運転手氏は、怒っているようにも、あきらめているようにも見えた。車は、波打際の傾斜にのめりこんだまま、次第に高くなる波に洗われようとしていた。
私たちは、それぞれ、車輪の下に木片を差し込んだり、砂を掘ったり、必死で働いた。
私も、Aさんも、Oさんも、足もとを波で洗われ、裸足《はだし》になって頑《がん》張《ば》った。日本海の海水は恐ろしく冷たく、長く足をつけていると感覚がなくなる。風が出て来た。空は暗い。
「おーい、みんな来てくれえ」
私は子供たちを呼び集めた。小学生たちは、押しても引いても動かない車に飽いて、上の方でドッジボールをはじめていた。
子供たちに手伝ってもらって、私がかけ声をかけた。車輪が持ち上った。板ぎれをタイヤの下に素早くはさむ。エンジンの音。動いた。加速しながら、波打際を疾走して行く。百メートルほど走って、ビーチハウスのほうへ上りかけた所で、また動かなくなった。
子供たちは、もう興味を失ってしまったらしく、遠くへ行ってしまった。
その日、私たちは、わずか二十五メートルあまりの砂漠を横断するのに、四時間近くの時間をついやした。動いては埋まり、掘り出しては動かした。私たちは、近づいてくる夕暮れの気配におびやかされながら、必死で砂と闘った。
大げさだと思うが、私は砂漠の真中で、砂から脱出しようとする隊商の男のような気分を味わった。今日、はじめて顔を合わせた物書きと、カメラマンと、記者と、運転手の四人の男が、不機《ふき》嫌《げん》な顔をつきあわせて、それでも力を合わせて働いた。
キメ手はトタン板だった。車輪の下にしいたトタン板を、数メートル動くたびに順ぐりに前輪の下にはさんで、砂漠を突破したのだ。最後の数メートルを、思いきり後輪を空転させて車が渡りきりビーチハウスの方へダッシュした時、私たちは思わず歓声をあげた。
〈飛べ! フェニックス〉という映画のことを私は思い出した。砂漠に墜落した大型機を分解して、男たちが新しい飛行機を作りあげる物語である。あれにくらべると、何ともみみっちい話だが、それでも私たちは今日、何事かをなしとげた、という感じがしていた。私のカルダン・シューズは、潮を吹いて使いものにならなくなったし、Aさんのコートは、オイルで黒く汚《よご》れていた。四人とも、ひどく疲れて、むっと押し黙っていたが、私はAさんや、Oさんや、運転手氏に、一種の連帯感のようなものを感じていた。
たかが二十五メートルの砂地を越えただけの話だ。だが、〈性交を終えたる後、すべての生物は哀し〉といった感覚とは正反対のものが、そこにはあった。
遊べは遊ぶほど空《むな》しく、集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ、という気がする。そんな時代に、孤独から抜け出る道は、こういった共同の行為にしかあるまい。ほかに何があるだろう。